国民が共有する豊かな知識の継承を妨げ、歴史への興味を削(そ)ぐことにならないだろうか。強く再考を求めたい。
聖徳太子は冠位十二階や十七条憲法などにより古代日本の国造りに大きな役割を果たした。歴史学習で最重要人物の一人である。
現行指導要領で「聖徳太子」だが、改定案では小学校で「聖徳太子(厩戸王)」、中学で「厩戸王(聖徳太子)」とされた。
聖徳太子は死後につけられた呼称で、近年の歴史学で厩戸王の表記が一般的だから、というのが見直しの理由とされる。
しかし、国民に親しまれ、浸透している名は聖徳太子である。厩戸王は、学年の理解度により、併せて教えればいい。小中で教え方が異なる理由もよく分からない。聖徳太子が一般的なことを、自ら認めるようなものではないか。
聖徳太子の威徳は早くからさまざまな形に伝説化されていった。一度に10人の訴えを聞き分けたという超人的な説話もある。
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このような話が史実ではないとしても、太子への信仰が広く定着していった事実は疑いようがない。鎌倉時代には太子を日本仏教の祖とあがめる風潮が強まったといわれる。
聖徳太子が建立したとされる四天王寺(大阪)や法隆寺(奈良)は言うに及ばず、多くのゆかりの寺院が現在もなお、太子を信仰したり敬慕したりする善男善女でにぎわっている。それは、日本の仏教史や精神文化史などを顧みる上で極めて重要なことである。
わが国真言宗の開祖は空海であり、弘法大師はその諡(おくりな)とされているが、弘法大師の名を知らなければ、全国各地で盛んな大師信仰を理解することはできない。
同じことが聖徳太子についても言える。
厩戸王を教えるだけでは歴史は細切れの無味乾燥のものとなり、子供は興味を抱くまい。
厩戸王が後に聖徳太子として信仰の対象となり、日本人の心の持ち方に大きな影響を与えた。それを併せて教えればよい。
時代を貫いて流れるダイナミックさを知ることこそ、歴史を学ぶ醍醐味(だいごみ)ではないだろうか。