麻生太郎首相は「地方分権なんだからよろしい」と言う。乱調な発言をいちいちあげつらうのはややうんざりするが、やはり不適切だ。「ばらまき」の責任が自治体に転嫁されるおそれがあるためだ。
政府は近く、自治体に実施要領を説明する。そもそも一から見直すべき制度だが、「全員給付」と「所得制限」のどちらが原則かぐらいは最低限、統一見解として明確にすべきだ。さもないと、行政の体をなさない。
自治体に委ねられたのは決して細部でなく、根幹だ。所得制限を導入した場合、制限を超える人が給付金を受領した場合は返納が必要だ。混同されがちな「辞退」とは異なる。
事務負担ばかりが問題ではない。首長は所得制限を判断し、関連予算は議会の承認を得ねばならない。仮に所得制限で資金が余れば、国に返納する。衆院選など政治日程次第で導入が暗礁に乗り上げ、準備が壮大な徒労に終わる可能性すらある。
首相は隣町で違いがあっても問題ないと説明するが、果たしてそうか。たとえば東京23区の区境を強く意識する人はそういまい。国の経済対策で道一本隔てれば差異が出てしまうのは、とても公平とは言えない。
現時点で所得制限を見送る自治体が多く、この「分権」は事実上返上されるかもしれない。かといって「お騒がせ」では済まない。「なぜ金持ちに配るのか」との批判に「あれは首長が決めました」と政府・与党が口実に用いる素地となるためだ。
当初「定額減税」として考えた景気対策が、非納税者も含めた社会政策の「給付金」に姿を変えた。このため所得制限論が浮上したが制度設計をしかね、地方に委ねた。鳩山邦夫総務相は「全員給付が原則」と景気対策の面を強調するが、首相は「(辞退して)返すかは矜持(きょうじ)の問題」と言う。政策のコンセプトが依然としてあいまいだ。
普段は補助事業ではしの上げ下ろしまで口を挟む国は、しばしば都合のいい時に「分権」を持ち出す。首相は地元・福岡県飯塚市の判断にかかわらず、給付金を辞退する考えという。
結論を委ねられた地元が全員給付がふさわしいと判断した場合はせめて尊重し、商店街の買い物で景気への刺激をアピールしてはどうか。それが、制度の責任者としてあるべき矜持の示し方に思える。


