2019年04月30日

[東京新聞] 平成のおわりに 「当たり前」をかみしめて (2019年04月30日)

今日で天皇陛下が退位され、平成の時代が終わります。特別な節目の日ではありますが、思い浮かぶのは特別とは正反対、「当たり前」のことです。

一九八九年一月七日付の小紙の社説は「矛盾が多い消費税の価格転嫁」など二本で、「昭和のおわりに」という社説は載っていません。当然、その日が昭和の終わりになることを事前に誰も知らなかったからです。

とまれ、平成はその翌日に始まり三十年余。思えば、呱々(ここ)の声を上げた嬰児(みどりご)が大人に、紅顔の美青年が厚顔な中高年になるほどの時間です。社説で言えば、平成時代にざっと二万本が書かれた勘定。本稿が最後の一本かと思えば、いささかの感慨を禁じ得ません。


◆原発に制御されている
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ここしばらく、メディアでは多くの平成回顧が見られました。吉凶ないまぜ、本当にいろんなことがあったのですが、「平成時代にあったこと」を一つと言ったら、やはり多くの人が東日本大震災を挙げるのではないでしょうか。

地震・津波の恐るべき力が夥(おびただ)しい数の命を奪いました。そして、原発事故。『ジュラシック・パーク』の恐竜みたいに、人間が作り出したものが人間の制御を離れて暴走する恐怖は、それまで味わったことのない種類の恐怖でした。

あれだけのことが起きたのに、なかったことにするつもりか、政府はなお原発「維持」に拘泥しています。もはや時代遅れ、安全性どころか経済合理性だって大いに疑問です。事故当事国の日本こそ真っ先に方向転換し、再生可能エネルギーに未来の活路を見いだすべきだったのに、今や他国に相当後れをとっています。

動かない、いや動けないのか。もしや、いつか首相が言った「アンダーコントロール」とは、原発が制御されている、ではなく、原発に制御されている、の謂(いい)だったのでしょうか。


◆何でもないことの平安
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俳人長谷川櫂さんの震災直後の作歌に、忘れがたい一首があります。<ラーメン屋がラーメンを作るといふことの平安を思ふ大津波ののち>

あの震災と原発事故で、私たちは、それ以前には、何でもない、当たり前と思っていたことが、実はどれほど大事なものだったのかを、あらためて思い知りました。

「行ってきます」と出て行った子が「ただいま」と帰ってくる。夕餉(ゆうげ)の食卓には家族の顔がそろう。電車は時間通り動き、パン屋にはパンが並び、コンビニにはビールや弁当やお菓子があふれ、夜の街ではネオンがまたたく。故郷の家にずっと暮らすことができて、日本の産品は「安全」の代名詞のように諸外国に扱われる…。

こうした多くの「当たり前」が震災・原発事故で失われました。

ここで「平成時代にあったこと」から「平成時代になかったこと」に話を転ずるなら、まず挙げるべきは、戦争だと思います。

近代以後、明治にも大正にも昭和にもあったが、平成の時代にだけは、それがなかった。

考えてみれば、戦争ほど、人々の営みの「当たり前」を奪い去るものはありません。過去の戦争では、どれほどの「行ってきます」が「ただいま」に帰り着けず、どれほどの「お帰りなさい」が重くのみ込まれたまま沈黙の淵(ふち)へと沈んだか。食べるものがある、住む所や働く所、学ぶ所がある。そうした無数の「当たり前」を戦争は燃やし、壊しました。

昭和がその後半、どうにか守った「戦後」を平成は引き継ぎ、守り抜いた。そのことは無論、素晴らしい。ですが、このごろ、どうにもきなくさいのです。

他国の戦争に加われるようにする憲法解釈の変更に始まり、それに基づく安保法などの法整備、さらには事実上の空母を持つとか、敵基地攻撃可能な巡航ミサイルを持つとか、安倍政権が次々打ち出す策は「専守防衛」を骨抜きにし、「平和主義」をぐらぐらと揺さぶっています。

まるで、「戦後」という平和の鐘が一つ、また一つと溶かされ、まがまがしい「戦前」という剣に鋳直されていくような。

歴史や過去に学ぶのなら、「戦後を維持し、原発から脱却する」のが当然なのであって、「戦後から脱却し、原発を維持する」なんて、そう、あべこべです。


◆「戦後」を脱却させない
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どうあっても「戦後」は続けなければなりません。無論、明日から始まる新たな時代も、ずっと。

高浜虚子の名句を借りるなら、そうした私たちの誓い、願いこそが<平成令和貫く棒の如(ごと)きもの>であると信じます。少なくとも人間のやることで、人々のかけがえのない「当たり前」が奪われることがないように。「当たり前」の平安をかみしめながら、平成の背中を見送りたいと思います。
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[毎日新聞] 天皇陛下きょう退位 国民と共にあった長い旅 (2019年04月30日)

天皇陛下がきょう退位される。

2016年8月、退位の意向をにじませる「おことば」を表明し、社会に驚きが広がってから2年8カ月。光格天皇以来、約200年ぶりの退位が実現する。

現行憲法のもと、象徴天皇として初めて即位し、あるべき姿を全身全霊で模索した平成の30年だった。

陛下は全国を訪れ、地域を支える市井の人々との接点を大事にしてきた。「おことば」の中で、こうした国民に対する深い「信頼と敬愛」をもって、天皇としての務めを果たせたと述べた。

「信頼と敬愛」は、父の昭和天皇が戦後間もない1946年のいわゆる「人間宣言」の中で、天皇と国民との関係について用いた文言でもある。陛下は同じ言葉の中に、ご自分と国民との新しい関係を築こうという思いを込めたのだろう。


象徴であり続けるため
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そもそも「象徴」に明確な定義はない。象徴像をどう築くのかは皇太子のころから問われていた。皇太子妃として初めてとなる民間出身の皇后美智子さまと結婚し、お二人で国民の中に積極的に入っていった。目指したのは、国民との絆を深めることだった。

陛下は天皇の務めについて、国民の安寧と幸せを祈ることと共に「時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うこと」と述べている。その言葉通り、被災地をはじめ、全都道府県を2回以上訪れた。中でも移動が簡単ではない離島への訪問は、皇太子時代を含めて21都道県の55島に上る。

発展から取り残された地域に足を運ぶことで、日本という共同体の内にあることを示し続けた。障害者施設やハンセン病療養所を繰り返し訪問したこととも重なる。

高齢となるに伴い、象徴の役割がいずれ十分に果たせなくなるとした陛下のおことばについて、天皇は存在さえすればよく、公務を代わりに担う摂政を置くべきだとの意見も出た。しかし、お気持ちは国民の共感を呼び、退位の特例法ができた。「行動する天皇」として、象徴の務めを全力で果たしてきた姿に国民が敬意を抱いていたからだろう。

陛下のおことばがビデオメッセージとして流れるまで、象徴とは何かについて国民的な議論はなく、陛下に委ね過ぎていた。おことばは、国民が「象徴」と向き合うきっかけになった。

過去の慣習にとらわれない発想は「平成流」といわれた。お二人が亡くなったあとのことまで考え、葬儀を簡素化するために、従来の土葬ではなく火葬とし、陵の規模縮小も決めた。外出時は、市民生活に大きな影響が出ないよう警備を減らすよう求めた。

陛下は戦争による昭和の「負の遺産」とも向き合った。かつて「私は戦争の無い時を知らないで育ちました」と述べたように、3歳の時に日中戦争が始まる。少年期に昭和天皇の苦衷に触れ、戦後は欧米歴訪などを経験して「平和」と「親善」への思いを強くしたといわれる。


戦争の記憶風化を懸念
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戦後50年を迎えた95年8月の全国戦没者追悼式で「ここに歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い」との表現を初めて使い、戦後70年の時は「さきの大戦に対する深い反省と共に」という部分を加えた。戦争体験者が年々減る中で、節目の年におことばの表現を変えながら、記憶の風化を心配するお気持ちを国民に伝えた。

唯一の地上戦を経験した沖縄への思いはとりわけ深い。皇太子時代に初めて訪問した75年7月、火炎瓶を投げつけられる事件が起きた際に「払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものではなく……」との談話を出した。沖縄の痛みに息長く寄り添う姿勢は、その後も変わらなかった。

「慰霊の旅」は国内にとどまらず、サイパン、パラオ、フィリピンなど激戦地にも及んだ。敵味方の区別なく深くこうべを垂れる姿が国内外に強い印象を与えた。

皇室の伝統を踏まえつつ、時代に合った皇室像を美智子さまと作り上げ、多くの国民に受け入れられた陛下の長い「旅」が終わる。平成から令和となり、皇室のあり方も時代の流れと共に変わっていくだろう。

そうだとしても、平成の30年余に陛下が常に国民と共にあろうとした姿は、時代を超えて国民の心に深く刻まれるに違いない。
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[読売新聞] 天皇陛下退位 国民と歩み象徴像を体現した (2019年04月30日)

◆健やかに過ごされることを願う◆

30年余にわたって真摯(しんし)に公務を果たし、象徴像を体現してこられたことに深く感謝したい。

天皇陛下がきょう退位される。退位による代替わりは、江戸後期の光格天皇以来、約200年ぶりだ。憲政史上初めてのことである。

陛下は1989年の即位後、「皆さんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たす」と述べ、憲法が定める象徴の在り方を日々模索してこられた。

◆一人ひとりと目合わせ

2016年にビデオメッセージで退位を示唆した際、陛下は天皇の務めとして「国民の安寧と幸せを祈る」「時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添う」ことを挙げられた。

陛下はその言葉通り、能動的に務めを果たされた。象徴について積極的に発言されなかった昭和天皇とは異なり、独自のスタイルを築かれた。この在り方は、国民に広く敬愛されたと言えよう。

地方訪問を重ねることで、象徴像の具体化に努められた。国民体育大会などに出席するため、全都道府県を2巡された。

平成は災害が相次いだ時代だった。陛下は地震や噴火などの被災現場を訪れ、膝をついて被災者と言葉を交わされた。障害者やハンセン病元患者との面会も熱心に繰り返された。

一人ひとりと目を合わせ、双方向の触れ合いを大切にされる。旅に出ない時でも、東日本大震災後のビデオメッセージのように、国民に直接語りかけられる。

その姿勢が皇室を身近な存在にしたことは間違いあるまい。国民を力づけ、社会が安定する結果をもたらしたと考えられる。

陛下は、平和を希求する気持ちが強く、先の大戦の戦没者を慰霊することに力を注がれた。足を運ばれたのは、広島や長崎などの国内に加え、多くの日本軍将兵が倒れたサイパンやパラオなどの南洋の島々に及んだ。

とりわけ思いを寄せられたのが、大きな犠牲を生んだ沖縄だ。両陛下の訪問は、皇太子時代を含めて通算11回に及び、沖縄の苦難に何度も言及された。

戦争の犠牲の上に、戦後の平和と繁栄がある。11歳で終戦を迎えられた陛下は、常にその思いを持たれていたのだろう。

国際親善の場では、数多くの外国訪問や各国賓客との面会を通じ、友好関係の前進に尽くされた。その中には、かつての敵国や植民地だった国も含まれていた。

陛下が築かれた友好関係は、次代に発展させていくべき資産として、受け継がねばならない。

◆皇后さまの支え大きく

陛下が務めを果たされる上で、大きな支えとなったのが、皇后さまの存在である。民間出身の皇后さまは、どのような立場の人にも優しさを示された。陛下の公務の多くに同行なさった。

両陛下が仲むつまじく二人三脚で歩まれる姿は、ともすれば近寄りがたかった皇室のイメージを刷新したのではないか。

天皇家の在り方についても、両陛下は新風をもたらした。皇太子夫妻時代にはお子さま方を手元で育てられた。陛下は前立腺がん、心臓の手術を受けたが、基本的な情報は国民に公開された。

埋葬法を土葬から火葬へ変更することや、陵(お墓)の規模の縮小を発表されてもいる。伝統を守りつつ、天皇家も柔軟に変化することを示した点で、歴史的な役割を果たされた。

今回の退位は、陛下が体力的な衰えを理由に、象徴の務めを果たせなくなるとの気持ちを示されたことがきっかけだった。多くの国民は驚きつつも共感を覚えた。

政府や国会は、特例として退位を認める退位特例法を成立させた。天皇の政治的権能を禁じた憲法に抵触しないよう、政治的対立の回避に腐心しながら、慎重かつ丁寧に対応した結果と言える。

◆安定的な継承が課題

陛下は「象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていく」ことを祈念された。いかに皇位を継承していくかは、今後も考えていくべき課題である。

陛下は退位後、上皇としてゆっくりとした生活に入られる。生物学者でもある陛下は十分な研究時間を持たれ、上皇后となる皇后さまはこれまで以上に文学に親しまれることだろう。

務め終へ歩み速めて帰るみち

月の光は白く照らせり

2007年に詠まれた陛下のお歌だ。これからは、務めに追われることもなくなろう。両陛下がいつまでも健やかに過ごされることをお祈りしたい。

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[朝日新聞] 退位の日に 「象徴」「統合」模索は続く (2019年04月30日)

天皇陛下がきょう4月30日をもって退位する。

陛下にとっては、日本国憲法が定める象徴天皇像を追い求める「旅」に終止符を打ち、緊張から解放される日といえる。

皇后陛下も同様であろう。新たな皇室の姿を作りあげるうえで、美智子さまが果たした役割は大きい。長年のお二人の歩みに深い敬意を表したい。

■支持された30年の旅

陛下がたどりついた象徴の務めとは、「国民の安寧と幸せを祈ること」であり、「事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うこと」だった。

具体的には美智子さまとともに、社会的に弱い立場にある人たちとの交流、被災地の訪問、沖縄を始めとする国内外での戦没者の慰霊などを重ねてきた。ひざを折り市井の人と同じ目の高さで話すスタイルは、皇室に威厳を求める右派勢力から批判されたが、多くの国民はこれを受け入れ、歓迎した。

退位の意向をにじませた3年前の「おことば」は、高齢に伴う体力の衰えからこの務めを果たすのが難しくなった自らが、天皇の地位にとどまることへの疑義を表したものだった。

国政に関する権能をもたないはずの天皇が、事実上新たな立法を迫る発言をすることが許されるのか。そんな問題も浮上したが、世論は一気に「退位やむなし」に傾いた。陛下の取り組みへの理解と共感の広がりを、端的に示す現象だった。

「おことば」の後、退位に向けた政府内での論議、特例法の制定、関連する行事のあり方の検討など、代替わりのためのもろもろの作業が続いた。

新元号発表の場を政権のPRに使ったり、憲法の政教分離原則をあいまいにしたまま儀式の詳細を決めたりするなど、政府の対応は多くの疑問と課題を残した。即位に伴う式典は今後も続く。前回の方式にただならうのでなく、正すべき点は正す。そんな誠実な姿勢を求める。

■判断するのは主権者

この間、天皇や皇室をめぐる議論は活性化し、様々な角度から事実の解明や分析があった。

終身在位など当然視されてきた事柄の多くは、明治期に作られたものであること。歴史を顧みると、旧憲法下の神権天皇制の異様さが際立つこと。戦犯裁判の判決を受け入れ、戦争の責任を認めることによって日本は国際社会への復帰を果たし、天皇制も存続し得たこと――。

かつて陛下が会見で、桓武天皇の生母のルーツは朝鮮半島にあると紹介し、大陸との長い交流の意義を語ったエピソードにも、再び光があたった。

知識を整理する機会に接し、認識を新たにした人も少なくないのではないか。次代の皇室像を探るうえでも、歴史に学び、正しい情報を持ち、必要に応じて原点に立ち返って検討する姿勢は欠かせない。

留意すべきは、陛下が語った象徴像が唯一の答えではないということだ。「陛下発」の退位論議は、国民が天皇のあり方について突きつめて考えてこなかったことをあぶり出した。「おことば」をただ受け入れ、再び思考停止に陥ってしまっては、同じ轍(てつ)を踏むことになる。

人々の広範な支持を思えば、骨格は受け継がれていくだろう。だが、時代に応じた見直しはあってしかるべきだ。

象徴天皇制は、国家の制度を特定の個人と一家が背負う仕組みであり、その人数、年齢、健康状態などに起因する限界や矛盾を常に抱える。何より、公務を担う皇族が減るなか、平成の時代にぎりぎりまで広がった活動を、この先いかなる判断基準に基づき、どう整理するのかという難題が待ち受ける。

最終的にその当否を判断するのは主権者である国民だ。皇室は「日本国民の総意」のうえに成り立っていることを、いま一度確認しておきたい。

■政治が機能してこそ

最近の風潮で気になるのは、現実政治に対する失望や焦燥が天皇への期待を呼び起こし、求心力を高めるひとつの原因になっていることだ。一方で、憲法に忠実であろうとした陛下の退位を、憲法が保障する自由や権利、平等などの価値を否定し、戦後体制の見直しにつなげようとする言動も目につく。

どちらも皇室の政治利用につながる動きで、認められるものでない。天皇に頼るべきでないことを頼る空気がはびこるのは危うい。その認識を一人ひとりが持つ必要がある。

天皇が国民統合の象徴であるためには、この社会が実際に統合されていなければならない。言うまでもなくそれは、ひとつの色で国を染め上げたり、束ねたりすることではない。多様な価値観を認め、互いを尊重しあう世の中を築くことだ。

政治が期待される本来の機能を発揮して、社会にある分断の修復に努め、その芽を摘む。むろん、対立をあおる言動は厳に慎む。そうであってこそ天皇は統合の象徴たりうると、政治家は心してもらいたい。
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2019年04月29日

[東京新聞] 天皇と憲法(3) 国民と歩むことの重み (2019年04月29日)

君主に権力が集中した絶対君主制は今日の民主主義社会とはもちろん、共存できない。欧州で主流の立憲君主制を見つつ、日本の天皇制を考えてみよう。

第二次大戦でのドイツ降伏後、ベルリン近郊で開かれたポツダム会議で、英国のアーネスト・ベビン外相は、第一次大戦後に、カイザー(ドイツ皇帝)制度を崩壊させなかったほうがよかったと述べ、出席者を驚かせた。

ドイツから皇帝というシンボルを奪い去ってしまったため、「ヒトラーのような男をのさばらせる心理的門戸を開いてしまった」からだという。


◆ヒトラー台頭の道開く
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一八七一年、小国分立のドイツを統一したプロイセン。その国王とドイツ皇帝を兼ねていたウィルヘルム二世は九〇年、「鉄血宰相」ビスマルクを退任させた。

ビスマルクは二十七年にわたりプロイセン首相に在任、「鉄と血」つまり兵器と兵士による軍事力で問題解決すると主張する一方、同盟外交で戦争を回避してきた老練政治家だった。だが、新皇帝には目の上のたんこぶだった。

政治の実権を握ったウィルヘルム二世は、自ら海軍増強など帝国外交を繰り広げる。これが英仏など周辺諸国の警戒を招き、第一次大戦へとつながった。

ドイツ敗戦後には、当然ながら責任を問われた。連合国側は体制一新を要求、国内では各地で革命が起き、追い詰められた。政府に迫られて退位しオランダに亡命。ワイマール共和国発足に伴い、皇帝制は廃止された。

共和国では、連立の組み合わせが目まぐるしく変わって政治は安定せず、共和国打倒を訴えるナチスの台頭につながった。

ナチスは当初、権威を利用しようと皇帝一族に接近したが、党勢拡大に伴って次第に冷淡になり、首相となったヒトラーは、君主制を復活させないと断言した。自らが総統となり、君主に取って代わったのだ。

ベビン英外相の後悔どおりの結末だった。

ドイツの皇帝制は日本にも大きな影響を与えている。


◆民主主義との共存
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明治政府は伊藤博文らを欧州に派遣、強い君主を規定したプロイセン憲法をモデルに大日本帝国憲法を制定した。

プロイセンと同様に、軍隊の最高指揮権、統帥権を天皇の大権と定めた。これに基づく帷幄(いあく)上奏も、プロイセン軍に取り入れられていた仕組みだ。

帷幄とは野戦用のテントを指す。参謀総長らが内閣を通さず、天皇に作戦などについて直接説明することができる。

昭和になってこれを軍部が乱用、軍を批判する者を統帥権干犯と批判し、時に暴力で黙らせた。結果、無責任体制を招き、暴走の果て第二次大戦を引き起こし、日本は焦土と化した。

ベビン英外相の言葉のように、戦後、天皇制存続のため念頭に置かれたのが、軍国日本につながったプロイセン流ではない、民主主義と共存する立憲君主制だった。

英国には現在も成文憲法はないが、一六八八年、流血なき「名誉革命」で国王ジェームズ二世を追放後、即位したウィリアム三世、メアリ二世は「権利宣言」に同意した。議会を王権に優越させ、絶対君主制とは全く性格の異なる君主制となった。

君主制と共存する成熟した民主制が定着している国は北欧やベネルクスにも多い。国王は国民の精神的なよりどころでもある。

ノルウェーは一九四〇年、ナチスの侵攻を受けた。当時のホーコン国王は抗戦し、英国に亡命後は抵抗組織を作り、ラジオで国民に呼び掛け続けた。生きざまは「ヒトラーに屈しなかった国王」と題して映画化された。その子オーラブ五世はしばしば街に出て、市民に声を掛けた。自分には国民四百万人がついているとして、護衛を嫌ったという。


◆君臨するが統治せず
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やはり、ナチスに侵略されたオランダでも、ウィルヘルミナ女王がロンドンで亡命政府を樹立し、徹底抗戦を呼び掛けた。ドイツ敗戦が濃厚となり帰国した女王は、歓声で迎えられた。

デンマークでは、戦後制定された新憲法で初めて女性への王位継承を認めた。その最初が現在の女王マルグレーテ二世である。男性王位継承高位者に、デンマークを占領していたナチス寄りの親族がいたことに対し国民の反発が強かったことも理由だったという。

欧州の国王の役割は国によってさまざまだが、共通するのが、政治には直接介入しないが、国家を代表し、国民に寄り添い、勇気付ける姿である。よく言われることだが、政治権力に対するある種の権威といってもいいだろう。国民と歩むことの重みでもある。
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[産経新聞] 【主張】平成の政治 脱ポピュリズム政治を 理念と政策で再結集が必要だ (2019年04月29日)

平成時代の政界が30年かけてできなかったのが、政権交代可能な二大政党制だった。それを妨げたのは国際社会を席巻している理念なきポピュリズム政治である。

平成初期には、非自民8党派による細川護煕政権が誕生し、自社二大政党による55年体制が崩壊した。21年には鳩山由紀夫元代表が率いる民主党が政権をとり、疑似二大政党制となった。これも長くは続かず18人の首相が入れ替わった。行き着いた先は安倍晋三政権による1強多弱の世界だった。

大衆受けを狙ったポピュリズム政治という安易な手法はひと足早く、平成時代のわが国を静かに蝕(むしば)んでいたのである。

≪シングルイシューの愚≫

その最たるものが、平成13年に政権についた小泉純一郎政権である。「自民党をぶっ壊す」と言って党総裁選を勝ち抜いた。小泉劇場の始まりだ。郵政民営化の是非を問うというシングルイシューによる選挙は、国民が第2幕、第3幕を見たくなるよう政治への関心を高めた効果はあろう。テレビのワイドショーは連日、小泉純一郎首相を追いかけた。小泉氏は本来なら味方であるはずの党内に抵抗勢力という悪役をつくり、彼らを退治する水戸黄門を演じた。

参院で否決されたのに、衆院を解散する。政治のプロを自任する永田町界隈の多くが驚いた。郵政民営化法案に反対する議員の選挙区に、賛成派の刺客を放った。

地盤、看板、鞄という三種の神器を持たない多くの議員が続々と当選した。小泉チルドレンという造語が生まれた。候補者本人の公約や人柄というより風に乗って当選し、政界から消えた議員も少なくない。シングルイシューで有権者受けを狙ったポピュリズム政治のなれの果てである。

ただ、国民世論の高い支持を背景とした小泉氏は、族議員と呼ばれる特定分野の専門家集団が支配してきた既得権益に、大胆に斬り込んだ点は評価できよう。

調整や妥協という旧来の自民党が得意とする政治手法は、国民の目に見えにくく、時間と金がかかるとの批判がつきまとった。小泉氏はこの手順を飛ばし、意見の異なる者に対し、徹底的に不寛容な姿勢を貫いた。与野党が調整を図る場で、衆参両院の非公式組織である国会対策委員会という政治のインフラを機能不全にした。

この結果、双方が国会の委員会というオープンな場で、むき出しの力を争うようになった。政治の見える化である。これもまた、平成中期以降の特徴であろう。

小泉氏の後を継いだ安倍晋三首相は、郵政造反組の復党や消えた年金問題などが理由で、平成19年の参院選で大敗した。第1党の座を小沢一郎元代表が党首を務める民主党に譲った。自民党結党以来初めての歴史的敗北だった。

≪「ねじれ」が停滞招いた≫

衆参両院で第1党が異なる「ねじれ」による決められない政治の始まりだ。民主党の審議拒否で海上自衛隊のインド洋給油活動を認めたテロ特別措置法が期限切れとなり、国際貢献に穴が開いたこともあった。混乱の極みである。

衆参のねじれは、だれもが経験したことのない破壊力を見せつけた。安倍、福田康夫、麻生太郎の各政権は短命で終わった。平成21年に政権を奪取する民主党も翌年の参院選で大敗し「ねじれ」に泣かされる。むろん、決められない政治で一番泣かされたのは、国民であることは言うまでもない。

この間、良くも悪くも政界の中心にいたのが小沢氏だった。民主党政権下では世界一を狙うスーパーコンピューターをめぐり、所属議員が「2位では駄目なのか」と発言した。民主党による事業仕分けも、パフォーマンス優先の典型的なポピュリズム政治に堕していたといえよう。

3年余りの民主党政権を経て与党に復帰した安倍政権は国政選挙で連勝した。集団的自衛権の限定的な行使容認を含む安全保障関連法を制定するなど、個別の法案レベルで、決められない政治から脱却したところまでは良かろう。

残念なのは、平成最終盤で見せた何でもありの姿勢だ。

選挙に勝てば良いとばかり、さきの大阪府知事・市長選のように立憲民主党や共産党など、国政の場で激しく対立する政党との共闘をためらわなかった。

与野党とも、政党政治の原点に立ち返り、理念と政策を軸にした勢力の再結集を求めたい。
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[毎日新聞] 天皇代替わりの儀式 憲法や常識と折り合いを (2019年04月29日)

天皇陛下の代替わりに伴う儀式がこれから本格化する。伝統を尊重するにしても、憲法の政教分離原則や今日の常識から外れたものであってはならない。

天皇、皇后両陛下は、伊勢神宮(三重県伊勢市)を参拝し天照大神(あまてらすおおみかみ)に退位を報告した。神話に基づいて皇位の証しとされる三種の神器のうち、皇居内にある剣とまが玉の箱を侍従がささげ持ち、随行した。

退位については、11の儀式のうち、4月30日の「退位礼正殿の儀」だけが政府の責任による国事行為で、他は全て天皇家の私的行事である。政府は公的支出も検討したようだが、宗教色が濃い行事であり、天皇家の私的費用である内廷費で賄われた。

5月1日には皇太子殿下が「剣璽(けんじ)等承継の儀」で神器や天皇の印、国の印を受け継ぎ即位する。政府は皇室経済法で神器を「皇位と共に伝わるべき由緒物」と定めていることなどから、儀式は「宗教的意義を有するものではなく、政教分離の原則に反するものでもない」と説明する。

同じ理屈で、即位を内外に宣明する10月の「即位礼正殿の儀」や「饗宴(きょうえん)の儀」まで即位に関する五つの行事は、全て憲法上の国事行為に指定されたが、何とも分かりにくい。

しかも「承継の儀」は成年男子皇族だけが立ち会い、女性皇族は入れない。明治末に作られ戦後廃止された旧法に基づく「前例」にならった措置というが、今の一般的な社会感覚に照らし不自然さは拭えない。

さらに曖昧なのは大嘗祭(だいじょうさい)の位置づけだ。新しい天皇が即位した年の収穫物を神々に供え、自ら食して祈る神道色の強い儀式である。政府も「国事行為ではなく皇室行事」と認めるが、同時に憲法が定める皇位継承儀式の公的性格を重視して、多額の費用は公費から支出する。

大嘗祭は大正天皇が即位した時、天皇の宗教的権威を中心に国家統治を強める狙いで大規模なものになった。ところが平成の代替わりで戦前の形式が踏襲され、今回もほとんど議論がないまま引き継がれる。

秋篠宮さまは昨年、「宗教色が強いものを国費で賄うことが適当かどうか」と異例の発言に及んだ。

代替わりを祝うだけでなく、皇室行事のあり方を社会の原則や現代の考え方に即して議論していきたい。
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[毎日新聞] 高齢者の自動車運転 従来以上の制限が必要だ (2019年04月29日)

87歳の男性が乗用車を暴走させ若い母子をはねて死亡させた東京・池袋の事故を巡り、高齢ドライバーへの対応が改めて議論になっている。

警察庁の統計によると、免許を所持する人のうち昨年死亡事故を起こした人の年齢別比率は、85歳以上の高齢者が最も高く、30代の5倍以上に達した。

また、75歳以上の死亡事故は昨年460件で、全体に占める割合は14・8%と過去最高を記録した。3割がブレーキやアクセルの踏み間違えなど操作ミスだった。高齢による認知機能の衰えとみられている。

高齢者の運転による事故が続いたため一昨年、免許更新時の検査で「認知症のおそれ」と判断されると医師の診断が義務づけられた。結果次第で免許が取り消される。だが、事故対策として十分とは言えない。

免許に定年制を導入すべきかどうかが論点になる。ただし、加齢に伴う身体機能の低下や運転能力には個人差がある。年齢だけで線引きするには、なお慎重な検討が必要だろう。

警察庁の有識者会議では現在、いくつかの対策が議論されている。

一つは、免許を取り消すかどうかの「実車試験」の実施だ。免許は一度取得すれば実技試験なしで更新できる。最新の技能をチェックする必要性は高いのではないか。

スイスなどで導入されている「限定条件付き免許」も検討テーマだ。誤作動に対応できる安全運転サポート車に運転を限ったり、地域や時間帯を決めて運転を認めたりする。

対象者や条件をどう決めるのか難しいが、高齢者の中には免許の維持か返納かの二者択一を迫られるより幅広い選択肢があった方がいいとの意見がある。議論を深めるべきだ。

75歳以上の免許自主返納者は年々増え昨年は30万人近くに上ったが全体の1割に満たず限界がある。交通手段の確保など返納者の生活の質が落ちない政策も充実させるべきだ。

75歳以上の免許所持者は、現在560万人以上いる。2年後に610万人を超えると推計され、長寿化で当面高止まりするとみられる。

運転制限については、受け入れ難い当事者は少なくないだろう。それでも、安全な交通環境の実現との均衡の上で、車社会の将来を考えていかなければならない。
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[読売新聞] 平成の政治 中長期の難題に挑む態勢築け (2019年04月29日)

◆野党混迷で2大政党制遠のく◆

政治主導の態勢を生かしつつ、中長期的な視野に立って政策課題に取り組む。平成時代の目標をどう実現していくか。

内閣や政党に限らず、国民も問われている。

平成の最初の数年間、政界は相次ぐ疑獄事件に揺れた。値上がり確実な未公開株が政権中枢に配られたリクルート事件や、大手建設会社が政治家に便宜を図るよう求めたゼネコン汚職事件である。

首相や閣僚らが辞任に追い込まれ、政治不信は極まった。

◆「金権」の弊害薄まった

原因とされたのは、自民党の派閥政治であった。衆院の中選挙区制の下では、各派閥の候補が同一選挙区で争った。派閥間の競い合いが長期政権を支える活力を生む一方、利益誘導を助長し、「金権政治」を招いた。

1994年に成立した政治改革関連法は、中選挙区の代わりに、小選挙区を中心とする制度に改めた。政権交代を可能とし、政党中心の選挙への転換を目指した。

政治資金規正法も強化された。民主主義に必要なコストとして、総額300億円超の政党交付金が支給されている。

政治の浄化は、一定程度進み、「金権」の言葉を見かけることは減った。今問われているのは、資金の「入り」より「出」だ。

政党や政治家が、国民の疑念を招かないよう、政治資金の使途の透明性を高め、適正な運用に努めるのは当然である。

一連の政治改革が実施されたのは、平時というよりも、バブル崩壊と金融危機に至る1990年代の経済の混迷期だった。

政治主導が整っておらず、右肩上がりの経済を前提とした護送船団方式や利益配分の仕組みの見直しに手間取った。

求められたのは、優先順位を付けて政策を遂行し、規制緩和によって成長分野を伸ばすという機動的な政治への転換である。だが、旧態依然とした予算のバラマキから脱せなかった。

景気刺激を名目に、財政支出を膨らませた。社会保障費を賄うため、平成元年に消費税の導入にこぎつけたが、10%への引き上げにメドが立つまで30年を要した。

この間、参院で与党が少数となる衆参のねじれが相次いで生じた。野党が参院を舞台に、政府・与党を追い詰めたことで、政治と経済の混乱に拍車をかけた。

◆適正な給付と負担に

財政収支は均衡を欠き、国と地方の借金残高は、1100兆円に上る。将来世代に、ツケを回していることにほかならない。経済の低成長が続き、国内総生産(GDP)は中国に抜かれた。

今後、少子高齢化がさらに進み、現役世代の負担感は増す。今までのように、低い負担で手厚い給付をするようでは、持続可能な社会保障制度を築けまい。

医療や介護制度などについて、給付抑制と負担増の改革が不可欠だ。消費税を10%からさらに引き上げる議論も避けられまい。成長戦略も強化する必要がある。

明確な将来展望に基づき、政治が責任を持って、諸改革を実行に移すことが重要だ。

衆参両院の選挙の多さの弊害から目をそらしてはなるまい。

平成の30年間に、1年半に1回の割合で行われてきた。安倍首相も2012年の政権復帰後、衆院解散・総選挙に2回踏み切り、いずれも圧勝した。

風向き次第で勝敗が大きく変わりうる小選挙区制の怖さが、目先の政策にとらわれがちな傾向を助長していないか。

長年政権の座にある自民党は、国民の痛みを伴う改革を粘り強く訴えねばならない。

政治改革の目標でありながら、実現しなかったのは政権交代可能な2大政党制の定着である。

◆国会で建設的論戦を

政権を担いうる野党を目指して、新進党が1994年に発足したが、3年後に崩壊した。

2009年に、政権の座についた民主党は、非現実的な公約に固執して行き詰まった。東日本大震災での拙劣な対応もあり、国民の支持を失い、3年余りで野党に転落した。旧民主党勢力の解体過程はいまだに続いている。

自民党と抵抗路線の旧社会党が対峙(たいじ)した55年体制に近付いているようにも見受けられる。

政治改革が掲げた「政策本位の政党政治」を実現するためには、野党が、党内論議を重ねて、内政と外交に関する現実的な政策を磨くことが欠かせない。

対案を提示し、政府に建設的な論戦を挑むべきだ。そのことが政治に緊張感をもたらそう。

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[朝日新聞] 原発被災地 住民本位の将来像を (2019年04月29日)

東京電力福島第一原発がある福島県大熊町の一部で、避難指示が解除された。未曽有の原発事故から8年余り。ようやく住民が戻れるようになり、まちの再生へ一歩を踏み出した。望む人が地元で暮らせるよう、行政は環境整備を粘り強く進めなければならない。

ただ、原発被災地の復興の道のりは多難だ。

今回避難指示が解除された地域で住民登録するのは400人弱で、町全体の4%。実際に戻ったのはその一部で、町民の大半は避難を余儀なくされたままだ。まちづくりは少数の帰還住民と町職員、以前から特例で住む約700人の東電社員らが担うことになる。

住民が長期の避難を強いられた被災地の自治体は、帰還を復興の土台にすえてきた。しかし、めざしたような成果をあげている、とは言いがたい。

大熊町の周辺市町村でも、帰還は思うように進んでいない。2年前に避難指示を解除された浪江町や富岡町の場合、居住者は千人弱で、事故前の1割に満たない。住民の意向調査で、「戻らない」との回答が半数ほどを占めたところも目につく。

被災者の多くは、避難先で新たな生活基盤を築いた。地元では医療や商店などの生活機能が十分整わず、廃炉作業や放射能への不安も、帰還をためらわせる壁になっている。

政府と関係自治体は、従来の取り組みのどこが現実とずれているのかを検証すべきだ。「箱もの」の施設整備や新産業をつくる構想などに多額の税金を投じる一方、もっとも大切な住民の生活再建への支援が手薄になっているのではないか。

これまで市町村がそれぞれの計画で復興に取り組んできたが、進み具合はばらつき、課題も多様化している。実情を見つめて被災地全体の将来像を描き直し、必要な対応を改めて考える時期ではないだろうか。

医療・商業施設の整備、介護人材の確保、雇用創出などで、市町村ごとに対応しても限界がある。広域連携が重要だろう。コミュニティーの再生では、NPOや専門家ら民間の力が欠かせず、廃炉や復興の仕事で来た新住民の定着を促す努力も必要だ。関係市町村と福島県は、人口が少なくても地域社会を維持する道筋を探ってほしい。

そこで大切なのは、住民の多様な生き方や思いをくみ取ることだ。「当面戻らないが、地元とのつながりは保ちたい」という声は多く、避難先と行き来する「通い復興」の人もいる。帰還、避難継続、移住のそれぞれを支えつつ、できるだけ多くの人に参画してもらうことが、新たな地域づくりの力となる。
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[朝日新聞] 一帯一路 支配の発想は控えよ (2019年04月29日)

「一帯一路」と名付けられた巨大な開発構想が進められている。中国が掲げるシルクロード経済圏構想である。

アジアと共に今や欧州、アフリカ、南米にも対象を広げた。中国の説明では、126カ国と協力文書を交わしたという。

世界規模となった構想について、中国はどのような姿勢で臨むのか。習近平(シーチンピン)国家主席は各国首脳らを北京に招いた会合で、「質の高い発展」をめざすとの基本方針を示した。

この構想には、各国が期待を寄せる一方、懸念も出ている。インフラ投資で、途上国を債務の返済不能に陥れるようなケースがあるためだ。

習氏は、各国の持続可能な成長の後押しをめざす考えを強調した。事実上、軌道修正の表明であり、ぜひとも言行一致を求めたい。

中国が各地での開発に資金や技術を提供し、協力を進めていくことは評価すべきだ。世界第2の経済大国としての責任を果たすものでもあろう。

米国が通商の保護主義に傾くなど内向きになるなか、中国が国際社会で活発な経済交流を広げる意味は小さくない。

問題なのは、この構想が中国の強引な対外拡張路線の動きと重なって見えることだ。

中国は巨大な経済力を背景にして、自らの意に沿わない政策をとった国に事実上の経済制裁を何度もとってきた。

習氏は「国際ルールに従う」と語っているが、それは今後の行動を見るしかない。この構想を覇権の道具にするようなことはあってはならない。

南アジアでの港湾建設をめぐっては、軍事的な進出の足がかりにしようとしているのではないかとの懸念も強い。

地域の安全保障のバランスを崩すような行為をすれば、経済開発も滞る。それは中国を含め、どの国にも利益とならないことを自覚すべきだ。

日本にとって、中国と第三国で開発協力ができるようになれば、経済的な機会が広がるだけでなく、日中関係の進展に寄与するだろう。安倍政権は慎重姿勢だが、中国側は米中対立を受け、これまで以上に日本の構想参加を求めている。

途上国側には、日本の関与を望む声がある。開発プロジェクトの透明性が高まり、中国の強権的な行為を抑えるような役割を果たしてくれるのでは、との期待である。

日米が主導するアジア開発銀行は、中国が設けたアジアインフラ投資銀行との協調融資を進めている。日本も中国との協働を通じて、主体的に影響力を発揮できないか。新たな可能性を模索するべきだ。
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2019年04月28日

[東京新聞] 天皇と憲法(2) 沖縄の苦難に向き合う (2019年04月28日)

凄惨(せいさん)な地上戦や苛烈な米軍支配など苦難の歴史を強いられてきた沖縄。天皇陛下が心を寄せられたのは、国民統合の象徴としての天皇像の模索でもある。

「だんじよかれよしの歌声の響(ダンジュカリユシヌウタグイヌフィビチ) 見送る笑顔目にど残る(ミウクルワレガウミニドゥヌクル)」

「だんじよかれよしの歌や湧上がたん(ダンジュカリユシヌウタヤワチャガタン) ゆうな咲きゆる島肝に残て(ユウナサチュルシマチムニヌクティ)」

二月二十四日に行われた天皇陛下在位三十年記念式典。両陛下は沖縄県出身の三浦大知さんが歌う「歌声の響」に耳を傾けた。陛下が皇太子時代の一九七五年、初めての沖縄訪問後に詠んだ沖縄地方の言葉による琉歌に、皇后さまが曲をつけたものだ。


◆地上戦で県民が犠牲に
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「だんじゅかりゆし」とは船出を祝う沖縄の歌。両陛下が名護市のハンセン病国立療養所「沖縄愛楽園」を訪れた際、見送りの人々から歌声がわき上がった。

その前日には激戦地だった沖縄本島南部の戦跡、糸満市のひめゆりの塔を訪れた両陛下に、火炎瓶が投げ付けられる事件が起きた。

琉歌には両陛下の旅の安全を願う人々の歌声や笑顔を心に留める陛下のお気持ちが詠(うた)われている。

陛下の沖縄訪問は、この皇太子時代を含めて十一回に上り、糸満市摩文仁の国立沖縄戦没者墓苑など南部の戦跡を必ず訪れている。

父である昭和天皇は沖縄訪問を切望し、八七年の沖縄国体に出席の予定だったが、手術のため見送られ、天皇としては訪問できなかった。その名代が、皇太子時代の今の陛下である。

天皇ご一家は「日本ではどうしても記憶しなければならないことが四つある」として、広島、長崎に原爆が投下された八月六日と九日、終戦の日の八月十五日に加えて、沖縄で組織的戦闘が終わった六月二十三日にも毎年、黙とうをささげてきた、という。


◆天皇制支配と別の歴史
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式典での「記念演奏」に琉歌が選ばれたのも、天皇陛下の沖縄への思いを考えれば、ごく自然の流れだったのかもしれない。

では、なぜ陛下が沖縄に深い思いを寄せてこられたのか。

沖縄戦では当時六十万県民の四分の一もの人々が犠牲になった。天皇の名の下に始まった戦争の犠牲者慰霊こそ天皇の務めとされているのだろう。

それだけでなく、沖縄が近世まで天皇制支配の枠外にあり、戦後も一時期、本土と切り離された歴史と無関係ではあるまい。

沖縄にはかつて「琉球国」という日本とは別の国家があり、江戸時代の薩摩藩による侵攻を経て、明治時代の琉球処分で日本に組み込まれた。明治期に沖縄は徐々に日本に「統合」されたが、敗戦で再び本土から切り離された。

昭和天皇は米軍による沖縄の長期占領を望んだ、とされる。この「沖縄メッセージ」を巡っては沖縄を切り捨てたという議論や、潜在的主権を確保する意図だったなど、さまざまな議論はあるが、五二年のサンフランシスコ講和条約発効後も、沖縄では七二年まで米軍による統治が続いた。

国民主権、戦争放棄、基本的人権の尊重を三大理念とする日本国憲法が適用される本土復帰まで、沖縄は人権無視の米軍統治に苦しんだ。陛下の思いはこうした苦難にも向けられているのだろう。

沖縄には今も在日米軍専用施設の70%が集中し、県民は重い基地負担に苦しんでいる。

日本国憲法は天皇を「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と定める。

天皇陛下は二〇一六年、退位の意向をにじませたおことばで「天皇が国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を内に育てる必要を感じてきました」「日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、天皇の象徴的行為として大切なものと感じてきました」と述べている。

日本と別の独立国だった歴史を持ち、戦後の一時期は異国支配の苦難を強いられ、今も米軍基地の過重な負担に苦しむ沖縄。だからこそ、繰り返し訪問し、県民の苦難と向き合うことで「国民統合の象徴」としての務めを果たそうとされているようにも映る。


◆令和の時代に引き継ぐ
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新天皇に即位する皇太子さまは皇太子になる前の八七年に初めて沖縄を訪れ、南部戦跡も訪問された。皇太子となった後も沖縄を訪れるとともに、沖縄の小中学生による「豆記者」と毎年会い、記者会見で「沖縄の文化とともに、沖縄での地上戦の激しさについても伺った」と紹介している。

戦争犠牲者を慰霊する役目と、多くの苦難を余儀なくされた県民に寄り添う国民統合の象徴としての務め。それらを誠実に果たそうとするお気持ちは新しい天皇に受け継がれるべきだろう。
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[産経新聞] 【主張】令和と万葉集 新時代を古典学ぶ契機に (2019年04月28日)

「平成」から「令和」へ、時代が変わる。

新元号の発表以降、典拠である現存最古の歌集「万葉集」が注目され、ちょっとした古典ブームだ。書店にはコーナーが新設され、関連書籍の復刊や重版が相次ぐ。一方で、教育現場では若者の古典離れが続いている。ブームを一過性に終わらせず、文部科学省は今こそ知恵を働かせるべきだ。

古典に親しむことは、自国の言語文化を理解する基礎になる。教養の一つといっていい。

ところが、平成25年度の学習指導要領実施状況調査(国立教育政策研究所)で、中学生に「古文や漢文などを読むのは、好きですか」と聞いたところ、「好きではない」「どちらかといえば好きではない」との回答が中1で60・8%に上った。中2は66・1%、中3は66・6%と、学年が上がるにつれて割合は増えている。

大きな理由の一つが、聞き慣れない古語のとっつきにくさにある。例えば今回、令和の引用について、国書か漢籍かということばかりが注目されたが、引用部分は漢文である。書き下し文は「初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして、気淑(きよ)く風(かぜ)和(やわら)ぎ」で、決して易しくはない。

万葉学者の上野誠・奈良大教授の解説によると、意味は「おめでたいお正月、加えて天気もよくて風もやわらか」だ。知った上でもう一度音読すれば、理解は楽だろう。日本語は音(おん)と漢字の両方から意味をくみ取るものだからだ。

上野教授はこうも指摘する。日本人は和歌によって情を学び、理すなわち理屈は漢文によって学んできた。情と理をどう調和させるかは古代から続く日本人の大きな課題である?と。古文は連綿と現在の日本語に繋(つな)がっているが、学んで慣れることは必要なのだ。

来春から小学校で英語が教科化される。国際化の時代に英語は必要だろうが、日本語という土壌があってこその外国語学習だろう。イギリスではシェークスピアを小学校から学ぶが、やはり難解なので演劇を取り入れているという。文科省の学習指導要領でも生涯にわたって古典に親しむため「易しい古文や漢詩・漢文について音読や暗唱の重視」を掲げてはいる。まだまだ工夫が足りないのではないか。指導者の育成も課題だ。

教養とは身につけるものだ。令和は、日常のすぐそばに古典文化がある時代であれ、と願う。
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[産経新聞] 【主張】日米首脳会談 拉致解決へ全力を挙げよ (2019年04月28日)

訪米した安倍晋三首相がトランプ米大統領と会談した。

両首脳は、北朝鮮の完全非核化に向け連携を強化し、経済制裁を維持することを確認した。トランプ氏は日朝首脳会談の実現と日本人拉致問題の解決に「全面的に協力する」と表明した。

北朝鮮の完全非核化は世界の平和にとって欠かせない喫緊の課題だ。拉致問題の解決は日本にとって最重要課題である。日米両国は同盟の総力を挙げて取り組まなければならない。

北朝鮮は、拉致という国家犯罪をおかしたにもかかわらず、ほおかむりしたままだ。核・ミサイル戦力の保有にこだわり、金正恩朝鮮労働党委員長がプーチン露大統領と会談するなど中露の後ろ盾を固めようと必死である。

日米両首脳は、米朝交渉の今後の進め方について、突っ込んだやりとりを行った。米ホワイトハウスの声明にあるように「北朝鮮の最終的で、完全に検証された非核化を達成するため」の話し合いである。

重要なのはトランプ氏の拉致問題への全面協力の表明だ。北朝鮮の独裁者に拉致問題の解決なくして自国の未来はないことを改めて認識させるものだ。

トランプ氏は日本との貿易交渉について、農産物関税をなくすことなどを首相に求め、5月中の協定妥結に期待感を示した。

米国は、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)を離脱したせいで牛肉や豚肉などの対日輸出で不利な条件を強いられている。

それが米農家の反発を招いていることに焦りがあるから、早期妥結にこだわっている。TPPの水準を超えるような過大な要求を控えているのも、交渉をもつれさせたくないためだろう。

気をつけたいのは農業分野で前のめりになることである。首相は「双方にとって利益となるよう交渉を進めたい」と述べた。日本車への輸入数量規制などを断念させないうちに、米国に成果を約束するわけにはいかない。

中国問題は主要議題とならなかった。国際社会で中国が建設的な役割を果たすよう日米が連携していくことを確認しただけでは不十分だ。安全保障、通商などあらゆる分野で、価値観の異なる中国にどのように対処していくかを5、6月に予定される日米首脳会談で突っ込んで話し合うべきだ。
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[毎日新聞] トランプ氏の対日圧力 優先すべきは公正な貿易 (2019年04月28日)

安倍晋三首相がトランプ米大統領と会談し、日米両政府が始めた貿易交渉の早期合意を目指して、交渉を加速することで一致した。

現実的には着地点を見通せる状況にもない。焦点の農産物と自動車を巡り、トランプ氏が米国だけに都合のいい主張を繰り広げたためだ。

会談でトランプ氏は、日本に対し米国産農産物への関税の撤廃を求めた。その理由として「米国は日本からの輸入車に関税をかけていない」と事実誤認の話を持ち出した。

実際は、日本が米国車への関税を既に撤廃したのに、米国は依然として日本車に関税をかけているのだ。

農産物についても、日本は環太平洋パートナーシップ協定(TPP)で関税を下げている。米国がそのメリットを受けられないのは、協定から一方的に離脱したためである。

貿易交渉の本来の目的は、互いに市場を開放し、経済全体の底上げを図るものだ。米国もTPP離脱前は自動車輸入関税の引き下げに合意していた。日米とも関税を下げるのが真に自由で公正な貿易である。

もう一つの焦点の為替を巡っても米国の強引さが目立つ。首脳会談に先立つ日米財務相会談で、米国は通貨安誘導を禁じる為替条項の導入を議論するよう迫った。

輸出に有利にするため為替介入などで意図的に通貨を安くすることを避けるのは、日米などが既に合意している。だが法的拘束力の強い通商協定に為替条項が入ると、日本の金融政策が米国に縛られかねない。

トランプ氏は記者団に、5月末の訪日までの合意に意欲を示した。米国抜きのTPPが発効し、農産物輸出で不利になっていることへの焦りがある。来年の大統領選を控え、早期に成果を得たいのだろう。

「5月合意」に言及したのは日本政府にも予想外だった。「現実味に乏しい」との見方が大勢だが、結果を急ぐトランプ氏が予測のつかない行動に出ることへの警戒が必要だ。

首相とトランプ氏の会談は10回目だ。夕食会では大統領夫人の誕生日を祝った。参院選前に首脳の良好な関係をアピールしたいのだろう。

首相が緊密ぶりを強調するのならその資産を活用し、トランプ氏を説得すべきだ。自由で公正な貿易こそ日米の国益につながるはずだ。
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[毎日新聞] 露朝首脳の初会談 米国にらみで双方の打算 (2019年04月28日)

双方の初顔合わせだけに終わり、非核化の実現に進展はなかった。

ロシア極東を舞台にした北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長とプーチン露大統領との会談である。

ロシア側は金氏の訪露を数年前から要請していた。この時期に実現したのは、2月にハノイであった米朝首脳会談が決裂したためだろう。露朝両国は核問題で協力を確認した。

北朝鮮国営メディアによると、金氏はハノイ会談で米国が一方的な要求をしたため、地域情勢が再び不安定化していると不満を示した。そのうえで、朝鮮半島の平和と安全は米国次第だと強くけん制した。

米国は完全な非核化実現まで制裁を維持する考えで、米朝協議は行き詰まっている。中国に加え、プーチン氏の後ろ盾を得て有利な対米交渉を進める狙いがあったようだ。

また、北朝鮮にとって経済面で中国への依存度が高い状態は好ましくない。ロシアとの経済関係の強化を期待した面もあるように見える。

金氏の祖父である金日成(キムイルソン)氏はソ連領に逃げて抗日運動を行った。ソ連崩壊後は中国の影響力が拡大して近年は距離があったが、金正恩氏はプーチン氏を前に露朝両国は「抗日大戦の戦友」と持ち上げた。

しかし、ロシアとしても国連安全保障理事会決議に違反してまで大規模な経済支援を行うことはできない。経済制裁下の苦境から抜け出すには、非核化への道を歩むしかない。

米国にらみで会談に臨んだのは、ロシア側も同じだ。

プーチン氏は2008年に中断した6カ国協議の再開に言及した。北朝鮮が求める国際的な体制保証を協議するためだという。

米朝両首脳はトップダウンでの直接協議を続ける意向で、即座に実現する可能性は低い。にもかかわらずプーチン氏が持ち出したのは、自国の極東戦略上、北東アジアでのプレゼンス拡大が必要だからだろう。

シリアやウクライナ問題などで米露の対立は強まっている。北朝鮮への影響力の確保は米国に対する外交カードとなりうる。プーチン氏が中国と共に北朝鮮が求める段階的な制裁緩和に理解を示すのは、こうした思惑を含んでいるようだ。

パワーゲームが前面に出るようでは、非核化実現はほど遠い。
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[読売新聞] 日米首脳会談 双方に資する貿易協定が要る (2019年04月28日)

◆平和と安定へ同盟の意義確認を◆

日米両国は強固な関係を維持し、アジア太平洋地域の安定と繁栄を図らねばならない。首脳間で緊密な連携の重要性を確認した意義は大きい。

安倍首相がトランプ米大統領と会談し、新たな貿易協定交渉を加速させることで合意した。

米国は、貿易摩擦の長期化などで中国や欧州と緊張関係にある。日米関係にまで綻びが生じれば、世界経済は先行き懸念が一段と高まりかねない。両首脳が、通商問題などを巡る対立を表面化させなかったのは適切だと言えよう。

◆予断許さぬ農業分野

首相は会談で、「ウィンウィンとなる交渉を進めよう」と強調した。双方の成長に資するルール作りへ意欲を示した発言だ。

日米は、世界の国内総生産(GDP)の約3割を占める。自由貿易の枠組みを両者が強化していくことは望ましい。早期妥結に向けて、閣僚級協議を精力的に重ねていくことが大切である。

交渉の行方は、なお予断を許さない。日米間には依然として、意見の相違も目立つからだ。

会談でトランプ氏は、交渉の合意時期について「私が訪日する(5月下旬より)前かもしれない」と述べた。2020年の大統領選をにらみ、早急に成果を上げたい意向があるのだろう。

一方、日本は夏の参院選後の合意を望む。協定の内容次第では、農業関係者の反発を招く恐れがあるためだ。こうした思惑のズレが今後の交渉に悪影響を与えないよう注意を払う必要がある。

トランプ氏は、農畜産品の貿易について「日本は重い関税を課している」と強い不満を示した。

環太平洋経済連携協定(TPP)の発効などで、米国産品は対日輸出が不利な状態にある。これからの交渉で日本は、TPPを上回る市場開放を迫られかねない。

TPPは、参加国が複雑な利害調整を経て、ようやく合意に達した枠組みだ。離脱した米国が、TPP加盟国より有利な条件を獲得するのは許されまい。早期妥結を迫るのなら、米国はTPPと同様の水準で折り合うべきである。

首相は、日本の自動車メーカーによる対米投資が、米国の成長や雇用拡大に貢献していることを具体的な数字を挙げて説明した。

◆G20の亀裂修復したい

米国の対日貿易赤字は、自動車分野が大半を占める。トランプ氏は、今回の会談でも、貿易赤字の削減に固執する姿勢を示したという。首相の説明でどこまで理解を得られたか、不安は拭えない。

日本車への制裁関税や輸出数量規制を持ち出してくる可能性を、引き続き警戒せねばなるまい。

自由貿易を歪(ゆが)め、国際ルールに反するような提案があれば、毅然(きぜん)と拒否することが不可欠だ。

首相は、6月に大阪で開く主要20か国・地域(G20)首脳会議で議長を務める。今回の会談では、トランプ氏と、G20での合意形成に協力し合うことで一致した。

トランプ政権は、多国間協議を軽視し、主要国の足並みを乱してきた。昨年末のG20首脳会議では、米国の反対で「保護主義と闘う」との文言を首脳宣言に盛り込めず、亀裂はさらに深まった。

G20は、主要国が世界共通の課題に挑む場だ。結束を取り戻すよう、日本は主導的な役割を果たすことが求められる。

トランプ氏は、G20での議論に積極的に参加し、協調体制の再構築に努めねばならない。首相は引き続き働きかけるべきだ。

◆拉致解決に粘り強く

会談では、北朝鮮の完全な非核化に向け、韓国を交えた3か国で連携していく方針を確認した。

2回目の米朝首脳会談が物別れに終わった後、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長は、中露を後ろ盾に、対米けん制を強めている。

こうした情勢を踏まえ、日米の首脳が、北朝鮮との交渉方針をすり合わせた意味は小さくない。

重要なのは、非核化に道筋がつくまで、北朝鮮への圧力を維持することだ。国連安全保障理事会の制裁決議を履行するよう、各国へ働きかける必要がある。

米朝首脳会談でトランプ氏が日本人拉致問題を提起したことに、首相は謝意を伝えた。

首相は、金委員長との直接対話に意欲を示す。拉致と核・ミサイル問題を解決することで、初めて国交正常化の道が開ける。北朝鮮への経済支援も可能となろう。こうした道筋を北朝鮮に伝え、粘り強く譲歩を促さねばならない。

両首脳は、日米同盟の抑止力を高めていくことでも一致した。宇宙やサイバーなど、新たな領域での防衛協力を深めたい。

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[朝日新聞] 日米首脳会談 「蜜月」の乏しい内実 (2019年04月28日)

首脳同士の親密ぶりを強調されても、難題をめぐる具体的な議論や実際の進展を伴わなければ、空しさだけが残る。

安倍首相がホワイトハウスでトランプ米大統領と会談した。昭恵夫人とともにメラニア夫人の誕生日を祝い、トランプ氏とのゴルフも楽しむ。

トランプ氏は5月末に新天皇即位後初の国賓として来日し、6月末にも大阪での主要20カ国・地域(G20)首脳会議のため日本を訪れる。それに先立ち、今回、異例の3カ月連続となる首脳会談を設けた。

しかし、伝えられる会談内容からは、首相の強いメッセージはうかがえない。

焦点の貿易交渉も、事前の担当閣僚間の合意をなぞる形で終わった。会談の冒頭、トランプ氏が5月末の来日時までの早期合意に意欲を示したのは想定外だったようだが、振り回されてはならない。環太平洋経済連携協定(TPP)など多国間の枠組みでの合意を背に、公正で自由な貿易の原則のもと、粘り強く交渉すべきだ。

欧州から北米への首相の長期外遊は、G20大阪会合の成功に向けた事前調整の狙いもある。昨年のG20では、米国が自国第一主義を押し通し、首脳宣言から初めて「反保護主義」の言葉が消えた。

国際協調の枠組みに背を向けるトランプ氏を説得しなければ「蜜月」の意味はない。

安全保障でも、議論すべき課題が置き去りにされた。

会談の直前、トランプ氏は通常兵器の国際取引を規制する武器貿易条約(ATT)への署名撤回を発表した。日本も採択に主導的な役割を果たしたと自負する条約である。その意義を説き、翻意を促すことが出来なかったのか。

トランプ政権が中距離核戦力(INF)全廃条約からの離脱を表明し、中国、ロシアとの軍拡競争の懸念が強まっている。この状況にどう対応するかも議論せねばならない。

トランプ氏は、今回も「日本は途方もない数の軍事装備品を米国から購入している」と歓迎したが、兵器を買い込んで米国の歓心を買うのは、健全な同盟関係とは言いがたい。

米国製の最新鋭ステルス戦闘機F35Aの墜落事故の原因究明や、米政権内で検討されている在日米軍駐留経費の大幅な負担増なども意見交換されなかったという。いったい、何のための首脳会談だったのか。

軍事技術が急速に進展し、安全保障と経済がリンクする米中対立の時代に、いかに地域の安定を保つのか。頻繁に顔を合わせるだけでなく、首脳らしい本質的な議論を望む。
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2019年04月27日

[東京新聞] 天皇と憲法(1) 未知の象徴をめざして (2019年04月27日)

今月末の天皇陛下の退位は近代天皇制では初となる。新天皇が即位し、「令和」が幕を開ける。憲法の観点から、日本の天皇制を考えてみたい。

象徴たる天皇というイメージは、日本国憲法の制定当時は誰もがつかみにくかった。明治憲法下ではむろん、万世一系の皇統を継ぐ天皇が現人神として君臨する−という根本の建前があった。

実は象徴の意味である「シンボル」の用語はまず、今では公になっている米国の機密電報に出てくる。一九四六年一月。連合国軍最高司令官マッカーサーから、ワシントンのアイゼンハワー参謀総長宛ての電文である。


◆「あこがれの中心」と
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<天皇はすべての日本人を統合するシンボルである。彼を滅ぼすことは、国を崩壊させることになる。日本人は、連合国の天皇裁判を自国の歴史に対する背信とみなし、憎悪と怒りを予見しうる限り長期にわたって永続させるであろう(以下略)>

その翌月には連合国軍総司令部(GHQ)側から示された新憲法案の中に天皇を「シンボル(象徴)」と記してあった。英国のウェストミンスター法などにも、王位を「象徴」と記していた。

しかし、新憲法制定の議会では、象徴とは何かが問われた。例えば四六年六月の帝国議会で憲法担当大臣の金森徳次郎は「あこがれの中心として、天皇を基本としつつ国民が統合している」と説明している。それにしても「あこがれの中心」とは、いかにも抽象的である。

象徴とは何か−。この漠たる表現に最も悩まれたのは天皇陛下ご自身だったかもしれない。陛下がこのテーマについて考えを巡らしていたのは明らかで、退位の意思を事実上、示された二〇一六年八月八日のビデオメッセージに、それが色濃くにじんでいる。


◆国民の視界に入るよう
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「日本国憲法下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を日々模索しつつ過ごしてきました」「国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます」。そんなお言葉である。

憲法には国事行為のみが書かれていて、「象徴としての行為」に関する定めがない。国事行為とは首相や最高裁長官の任命などだ。法律や条約などの公布も、国会召集も、大臣らの任免も…。

憲法は「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」とも定めている。

そして、国事行為とは別に、天皇の私的な領域があることは自明の理である。私事である。しかし、天皇にいわゆる信教の自由などはあるのだろうか。もし、ないのなら、私人として全く自由な存在でもありえない。

だから、天皇にはまず象徴という地位があると考えるしかない。「象徴としての行為」とは、それを具現化するためのいとなみである。だから憲法に規定はないが、国事行為とも私事とも異なる重要な公的行為が「象徴としての行為」となる。具体的には国民に寄り添い、苦楽をともにする−。例えば各地の被災地を見舞い、アジアの各国を慰霊のために旅をする−。そのような行為の姿である。

ある喩(たと)えを用いよう。国内のどこにも天皇の姿が現れなくなったら…。国民の視界から天皇は消えてしまい、国民は象徴として考えにくくなる。だから、「象徴としての行為」こそ重要なのである。陛下が実践された旅する天皇像こそ象徴性を支えていると考えるのが自然ではないか。

在位中に起こった阪神大震災や東日本大震災などの災害をお見舞いし、被災者を励ます。膝を折り、被災者に寄り添う姿は、陛下の時代から生まれた新しい象徴天皇の姿だったといえる。

ただし、旅する天皇像は、国民に象徴としての姿を現す一方、憲法にその定めがない故に、政治利用の余地もある点は、留意が必要である。天皇が「動く」ことだけで政治的な意味を持つからだ。沖縄やアジア諸国などへ「動く」ことにも当然、意味が発生する。政権が意図しての旅ならば、まぎれもなく政治的利用にあたろう。

五月一日に即位する新天皇は、グローバル時代にふさわしい旅をするかもしれない。新皇后は元外交官でもあったから…。


◆民主主義にふさわしく
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皇室外交の花を開くかもしれない。だが、当然ではあるが、外交は政治なのであり、あくまで儀礼の枠を出ない国際的な社交にとどまらねばならない。

憲法が天皇に政治的行為を禁止した理由は、戦前の歴史を蘇(よみがえ)らせないためである。陛下は憲法に忠実に民主主義にふさわしい天皇像を実践されたと考える。国民の共感が生まれるゆえんである。
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[朝日新聞] 10連休始まる 空白の時間を楽しもう (2019年04月27日)

暦の上に休みが10日間つらなっている。きょうが初日だ。

1948年に祝日法が施行されて以来、最長だという。

指折り数え、遠出の準備をしてきた人も多いだろう。うきうき気分で今なお、予定を思案中の人もいるはずだ。

一方で、戸惑っている人も少なくないのではないか。この異例に長い「オフタイム」を、どう過ごしたものか、と。本紙の社説を担っている論説委員室にもそんな声は多い。

日本人は休むことが不得手、といわれる。長時間労働が長く認められてきた歴史の影響は深い。強いられずとも、勤勉さを尊ぶ文化や、周囲に気を回す習性も背景にあるだろう。

だがここはひとつ、肩ひじ張らず、深呼吸してみよう。

ドイツの児童文学作家ミヒャエル・エンデの「モモ」は、社会の一端の風刺がいまなお鋭く迫り、読み継がれている。

時間の節約と引き換えに、お金と便利さを手にした人間たち。いつも不機嫌で、生活の質はやせ細る。余暇さえ、無駄なく、せわしなく遊ぶ――。

邦訳から四十余年。時短は進み、世の中の意識も遅まきながら変わり、今月から働き方改革の法律も施行された。だが、休みとの幸せなつきあい方や、自分だけの時間割の作り方は、多くの人が答えを探し続ける難問ではないか。

この連休。発想のリセットを試みたい。スピーディーな成果を求められる縛りから脱し、空白の時間を大切にする。

何もしない。目的がなくてもいい。主体的に何かをなすといった観念は横におき、暮らしに起きることを楽しんでみよう。あれこれ考えすぎるのも、思い切って、打ち止めに。

「心と体を休め、物事をゆっくり観察する。必ず副産物や残りかすを生み出すものです」。文化人類学者・今福龍太さんの言葉だ。「副産物や残りかす」は、しずまった心に訪れる発見や感覚の喜びなのだろう。

「モモ」で、主人公の少女の特技は相手の話を聞くことだ。それが周囲を幸せにする。ゆるやかな人の交わりが日常の小事でも宝石に変えうる。

もっとも、今回の連休には問題もあった。政府は、市民生活への影響の見定めを尽くさないまま決めてしまったからだ。

休みたくても休めない人もいれば、子供の預け先がなく苦労する人たちもいる。休み続きが置き去りにしている社会の現実を見落としてはなるまい。

多様な生き方の時代ともいわれる。そもそも公の取り決めで一斉に休みを共有するのが、どこまで現代にマッチするのか。そのあたりも検討課題だろう。
posted by (-@∀@) at 14:02| Comment(0) | 朝日新聞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする