2018年04月30日

[東京新聞] 天皇退位へ1年 憲法と調和した儀式を (2018年04月30日)

天皇家は長い伝統を持つ。同時に天皇の地位は憲法で定めている。陛下の退位まであと一年になった。代替わりの儀式は憲法との調和が求められる。

明治憲法での天皇と日本国憲法での天皇を比べてみる。地位は前者は「神勅」という神の意思によっている。後者は「国民の総意」に基づいている。

権能はどうであろうか。前者は統治の総攬(そうらん)者でさまざまな大権を持つ存在であるのに対し、後者は政治的な権能を有しない。そもそも前者では天皇が主権者であったのに、後者では国民が主権者である。つまり天皇制は別物である。東大教授で最高裁長官でもあった横田喜三郎の説である。


◆「由緒ある物」とは何
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では、宮中の法などはどうであろうか。旧皇室典範は皇室といういわば“家の法”であったが、戦後に国の法に変わった。皇室経済法という法律もある。この法の七条にはこんな規定がある。

<皇位とともに伝わるべき由緒ある物は、皇位とともに、皇嗣(こうし)が、これを受ける>

これをどう解釈すべきか。「三種の神器」は「由緒ある物」とも考えられる。皇位のしるしとされる鏡、剣、璽(じ)(勾玉(まがたま))の三つの神器のことだ。このうち即位の礼の儀式では、剣と璽等を受け継ぐ「剣璽等承継の儀」がある。

「神器継承儀式が政教分離原則に違反するなら、この規定を根拠にそうした儀式を行うことは許されず、またそうした儀式を定めたものとしてこの規定が解釈されるなら、この規定自体が違憲である」(横田耕一著『憲法と天皇制』岩波新書)

明治憲法の下で国家神道と政治が深く結び付いた戒めから、現憲法では政教分離を憲法で規定する。その原則を神器継承の儀式と照らすと、違憲との学説も出てくるのだ。案外と難しい。


◆政教分離との関係は
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ある人は言うであろう。それほど堅苦しく考える必要はないではないか。日本の長い伝統を尊重し、天皇の代替わりの儀式はそれに則(のっと)って行うべきではないかと。

またある人は言うであろう。天皇自身が憲法で定められた存在であるのだから、その儀式も憲法に合致すべきだ。戦前の天皇制ではないから、現憲法にふさわしい代替わりであるべきだと。

政府が既に決定している基本方針は「憲法の趣旨に沿い、皇室の伝統などを尊重したものとする」と明記している。もっともな書き方ではあるが、双方、両立させることが意外と矛盾をはらむ可能性もあることが理解されよう。

既に決まった日程を記してみる。陛下の退位の儀式として、「退位礼正殿の儀」が二〇一九年四月三十日に宮中で行われる。これは国事行為としてである。

翌五月一日に新天皇が即位するが、即位の中心的な儀式「即位礼正殿の儀」は同年十月二十二日に行う。これも国事行為である。宮中の重要な祭祀(さいし)である「大嘗祭(だいじょうさい)」は同年十一月十四日から十五日にかけて行う方向である。

もっとも神々に新穀を供える「大嘗祭」は皇室の行事となる。憲法の政教分離原則に配慮した。宗教色が濃いため、昭和天皇逝去に伴う前例に倣った。

問題は神道色の強い儀式を国事行為としたり、公費を充てることについて疑義があるかどうかだ。

前回は知事の参列などが政教分離原則違反とする訴訟が各地で起きた。請求は退けられたが、大阪高裁では「国家神道に対する助長、促進になるような行為として、政教分離規定に違反するのではないかとの疑義は一概に否定できない」との指摘があった。非常に微妙な問題で再び批判が上がることも予想される。

天皇が高御座(たかみくら)からお言葉を述べるとき、首相が見上げる場所にいると、国民主権の観点から疑問視されうる。工夫の余地はあるのかもしれない。

今回、剣璽等承継の儀には男性皇族に限って参列する予定だ。だが、政府内でも前例踏襲派と、今の時代に合わないとして女性皇族の参列を認めるべきだとする声があった。国民と同じ人権が及ばない皇族といえども、憲法の男女平等からは異論があろう。

天皇の退位は江戸時代の光格天皇以来二百年ぶりとなる。一口に皇室の伝統というが、その式典の在り方は時代により変化している。三十年前には「剣璽渡御の儀」の名称を「剣璽等承継の儀」と改めている。


◆戦前の宗教性は排して
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皇室に親しみを持つ国民は多い。敬意もあろう。だが、戦前の宗教的な権威や神聖性を帯びた存在とは異なる。象徴天皇の代替わりは国民の理解を得つつ、憲法との調和が必要である。政府にはそんな再検討と準備が求められているのではなかろうか。
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[産経新聞] 【主張】財務省とセクハラ 調査結果は不十分である (2018年04月30日)

財務省は、セクハラ問題で事務次官を辞任した福田淳一氏について、セクハラ行為があったと認定し、6カ月の減給20%の懲戒処分に相当すると発表し、謝罪した。

矢野康治官房長は「これ以上の事実解明は難しい」と述べ、調査の終了を表明した。これでセクハラ問題を幕引きとしたいのだろう。

だがこの問題で問われたのは、福田氏の破廉恥な言動にとどまらず、福田氏の擁護に傾斜した財務省の姿勢である。この反省を徹底しなければ、醜聞をめぐる混乱は容易に収まらない。

まず留意すべきは、これは処分ではなく、あくまで法的根拠を持たない、処分相当にすぎないことだ。調査結果を待たずに福田氏の辞職を認めたことで、処分対象者ではなくなっていた。

処分相当の減給分は141万円であり、これを差し引いた上で福田氏には退職金5178万円が支払われる。経歴に「懲戒処分」の事実は残らない。あまりに軽微な措置と言わざるを得ない。

福田氏は、財務省が委託した弁護士の聴取に、被害女性と1対1の飲食をしたことを認めた上で、セクハラ行為については依然、否定しているのだという。

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福田氏は当初、財務省の聴取に飲食の事実も否定していたはずだ。虚偽の証言をしていたことになる。これを聴取結果として一方的に公表していた財務省の責任も改めて問われる。

本人が否定したままセクハラ行為があったとの認定に至る説明も不十分である。調査が尽くされたとは到底、言い難い。

財務省は調査終了の理由に、被害者の二次被害拡大の恐れや、被害女性が所属するテレビ朝日側が調査への協力に慎重であることを挙げた。一方でテレ朝は、詳細な調査の継続と、福田氏本人の謝罪を求める談話を発表した。

この矛盾を、どう理解すればいいのか。そこで提案がある。テレ朝から情報提供を得られないのであれば、財務省が調査結果をテレ朝に提供してはどうか。

被害女性の人権保護についてはテレ朝が責任を持ち、自社の記者が受けたセクハラ被害について抗議も報道もできなかった反省についても検証する。財務省が福田氏の人権を盾にこれを拒むなら、テレ朝側への情報提供の申し入れがいかに理不尽か分かるだろう。
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[産経新聞] 【主張】患者負担3割超え 保険の意義を守れるのか (2018年04月30日)

新たな社会保障費抑制策に向けた検討が、財務、厚生労働両省を中心に本格化してきた。

75歳以上の患者負担を現行の原則1割から2割に引き上げる案が、主要論点の一つとして挙がっている。

団塊世代が75歳以上になると、医療費などの激増が予想される。支払い能力に応じた負担をもう一段進めざるを得ない。有力な選択肢となろう。

健康保険組合は高齢者医療への拠出金が年々重くなり、2割強が解散してもおかしくない状況に追い込まれている。これに対し、多額の資産を保有する高齢者は少なくない。高齢世帯の暮らしへの目配りをしなければならないが、世代間のバランスも重要だ。

一方で、看過できない改革メニューも浮上している。例えば、経済成長や人口減少の進み具合に応じて、患者負担の割合を自動的に増やすという案だ。

現行は「原則3割」だが、勤労世代が減っていくことを考えれば、将来的にはこれを大きく上回る事態となる。

患者負担を3割に引き上げた際、健康保険法の付則に「将来にわたり3割負担を維持する」ことが規定された。これを根底から覆すのだろうか。患者負担があまり大きくなったのでは、保険の本来の意味をなさなくなる。

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それ以前の問題として、医療保険制度とは、健康な人を含めた加入者全員で患者を支える仕組みである。体調を崩した人に大きな負担を強いるのは筋が通らない。保険料などにより社会全体で負担を分かち合うべきだ。

自己負担は高額療養費制度で上限が定められているが、上限に達しないケースのほうが多い。患者の負担増が過度の受診抑制を招き、かえって病状を悪化させることになれば本末転倒である。

診療報酬を地域別に設定する案も現実的といえるのか。隣県の住民が「安い医療」を求めて押し寄せることになれば、地域医療そのものが破綻しかねない。

こうした「苦肉の策」を続ければ、制度はやがて機能しなくなるだろう。社会保障は度重なる改革で、新たな抑制策も手詰まりの状況となりつつある。だが、給付範囲の見直しなど目を向ける部分はまだ残っている。

新規財源確保も含め、政府は優先順位を間違ってはならない。
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[毎日新聞] セクハラと日本社会 これが21世紀の先進国か (2018年04月30日)

セクハラの実態を正確につかむことは不可能に近い。被害がなかなか報告されないのだ。なぜか。

財務事務次官を辞任した福田淳一氏のセクハラ問題は、その答えをわかりすぎるほどわからせてくれた。

調査もせず口頭注意で済ませる。それが発覚直後の財務省の態度だった。報道した週刊新潮が問題発言の録音を公開し、「調査」を始めたが、被害者に「名乗り出よ」と言わんばかりの乱暴な手法だった。

福田氏は「全体として見るとセクハラではない」と説明にならない説明を繰り返し、法廷で争うという。

だが最も深刻なのは、次官を監督する立場にある閣僚が、セクハラの本質やその重大性をおよそ理解しているとは言い難い点である。


被害者批判の理不尽
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「(加害者扱いを受けている)福田の人権は、なしってわけですか」「(福田氏が女性に)はめられて訴えられたとの意見も世の中にはある」。安倍政権ナンバー2の副総理でもある麻生太郎財務相は、福田氏をかばう一方で、被害女性があたかも福田氏をワナにかけたかのような発言をためらいもなく重ねた。

財務省はようやく福田氏のセクハラを認め、処分を発表したが、その場に麻生氏の姿はなかった。セクハラと正面から向き合うという姿勢がみじんも感じられない。

21世紀の先進国政府で起きているとは信じ難い恥ずべき事態である。「女性の活躍」を看板政策に掲げる安倍晋三首相はなぜ怒らないのか。

さらに驚くのは、女性側の仕事に制限を求めるような主張が少なくないことだ。日本の経済界を代表する経団連の榊原定征会長は、福田氏の行為を「極めて不見識」と批判する一方、記者が異性と1対1で会うことは「さまざまな誤解を生みかねない」と記者会見で述べた。

取材を受ける側の大半が男性である現状と合わせて考えれば、女性記者は誤解を招かぬよう夜間の1対1の取材は控えよ、という意味になる。また、異性間のセクハラのみを前提にするのも時代遅れだ。

影響力のある人たちによる見当違いの発言は、被害者たたきをしても構わないという間違ったサインとなる。インターネット上で中傷が勢いづく。セクハラに甘い環境はそのままで、被害はいつまでも減らない。

今回のセクハラ問題は被害者が記者だったことから、報道する側の倫理を問う意見も少なくなかった。

まず、セクハラにせよパワハラにせよ、被害者の職業は無関係だということを指摘しておく。政治家でも警察官でも被害者は守られるべきだ。その上で述べたい。

セクハラの立証は非常に厳しい。音声や画像など客観的証拠が乏しければ、逆に加害者から名誉毀損(きそん)で訴えられかねない。今回の録音は被害を訴える際不可欠な証拠である。


社会全体が損をする
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セクハラ被害の報告を受けたテレビ朝日は自ら財務省に抗議し、そのことを報じるべきだった。それができなかったがために、記者はやむなく情報を週刊誌に提供した模様だ。もし彼女が途中であきらめていたら、今も福田氏はセクハラ発言を続けていたことだろう。

今回の事例は氷山の一角だ。声を上げられないまま精神を病んだり、命を絶ったりする被害者もいる。発信の手段を持つ記者でさえ、セクハラと闘おうとすればひどい目に遭う。今回の事例が多くの女性に無力感を与え、口をつぐむ被害者が増えはしないか心配だ。

あらゆるハラスメントは悪い。ただ、男性被害者も多いパワハラに対し、セクハラの被害者は女性に集中している。有効な防止策が打たれず被害が闇に葬られ続ける背景には、改善を主導できる地位にあまりにも女性が少ない現実がある。

働く女性が性的対象としてしか見られない、尊厳が傷つけられてもあまり問題にされない社会で損をするのは女性ばかりではない。社会全体が活力を失い、国際社会からも尊敬されない国になる。

英国では先週、女性の参政権100周年を記念し、運動家ミリセント・フォーセットの銅像が国会議事堂前の広場に建立された。「勇気は至る所で勇気を呼ぶ」。自身の演説の一節を記した旗を手にしている。

基本的な権利を守ろうと立ち上がった一人の勇気がつぶされ、至る所で勇気の芽が摘まれる。そんな国は、現代の国際社会で名誉ある地位を占めることなどできない。
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[読売新聞] 東欧の民族主義 EUの結束が揺らいでいる (2018年04月30日)

東欧で、政治指導者が民族主義を煽(あお)り、欧州連合(EU)の基本理念である法の支配や多元主義に反する動きが相次いでいる。EUの結束が揺らぐ事態だと言えよう。

ハンガリー総選挙で、オルバン首相率いる中道右派の与党連合が圧勝し、議席の3分の2を獲得した。2010年に返り咲いたオルバン氏は、通算4期目の政権を近く発足させる。

選挙戦で、「難民はサビのようなもので、ハンガリーを徐々に食い尽くす」と述べ、露骨な反難民キャンペーンを展開した。排外的な民族主義をもとに、EUの難民政策への批判を繰り返した。

オルバン氏は、メディア統制を強め、難民を支援する民間団体の活動規制にも乗り出した。「リベラル民主主義」を否定し、EUが掲げる「自由」や「寛容」を軽んじているのは見過ごせない。

深刻なのは、他の東欧諸国でもEUとの対立が目立つことだ。

ポーランドは、政権が裁判官の人事を掌握する司法改革を推進する。EUの執行機関の欧州委員会は、法治主義に反する疑いがあるとして、制裁を科すための手続きを開始した。

ルーマニアでは汚職が横行する中、政治家が法令改正で罰を軽減しようともくろみ、EUから問題視されている。

フランスのマクロン大統領は、最近の演説で、東欧のこうした動きへの危機感を示し、「民主主義を守る」と強調した。

東欧諸国がEUに加盟して10年以上になる。加盟国間で価値観の共有が深まらず、逆に溝が広がっているのは想定外だろう。

背景には、15年に中東・アフリカから欧州へ難民が大量流入した際の混乱がある。

EUは、各加盟国に経済規模などに応じて、難民の受け入れ数を割り当てた。ハンガリー、ポーランド、チェコの3か国は、EU主要国による「押しつけ」だと反発し、割り当てを拒否した。

難民の大多数はイスラム教徒で、冷戦時代に共産主義国家だった東欧の国民は、共生の経験に乏しいという事情もあった。

ドイツのメルケル首相が、欧州の人道主義の伝統に基づいて推進した難民割り当て策は、やや強引だったのではないか。

EU加盟国はそれぞれ、歴史的、文化的背景が異なる。政策の一本化は容易ではない。ドイツとフランスがEU統合を推進するには、各国の国情に細心の配慮をすることも必要だろう。
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[朝日新聞] 憲法70年 25条の意味、問い直そう (2018年04月30日)

1945年暮れ。憲法学者らでつくる研究会のまとめた憲法改正草案が新聞各紙に載った。

この中に「国民は健康にして文化的水準の生活を営む権利を有す」という一文がある。

連合国軍総司令部(GHQ)の憲法草案や政府原案にはない言葉だ。研究会メンバーだった森戸辰男衆院議員らの提案で、今の憲法25条に反映された。

当時の国会審議で、こんな発言がある。「国民をしてこれに希望をつながせ、納得させることになる。そうしないと国民は、日常の生活に対して実益のない憲法として無関心になったり……、人心は憲法を忘れ……憲法の危機を招くという結果に相成るではないか」。修正案は、憲法への信頼を高め、国民の希望になると考えられた。

あの時代の熱気、掲げた理念を、思い起こしたい。

■揺れる「最低生活」

「健康で文化的な最低限度の生活」を国民の権利とした憲法25条。その理念に基づき生まれたのが今の生活保護法だ。「最低限度の生活」に必要な費用を具体的に定めた保護基準は、社会保険料の減免、就学援助、最低賃金などの参考にもされる。

その保護基準が、今、大きく揺れている。

自民党が政権に復帰した直後の2013年、制度始まって以来最大の引き下げが行われたのに続き、この10月からさらに引き下げるという。

保護基準のありようには、時代の空気が色濃く映る。

戦後まもなくは、生きていくのに最低限必要な、ぎりぎりの基準だった。経済成長で一般国民の生活水準が上がると、格差の拡大が問題になった。「保護基準は低すぎる」として争われた「朝日訴訟」もあり、60年代半ばからは基準の引き上げに主眼が置かれる。「一般勤労者世帯の消費水準の少なくとも60%程度」が目標とされた。

80年代に入り、保護基準は「ほぼ妥当な水準」になったとされ、以降、民間消費支出の伸びを参考にこの水準を維持する方式がとられてきた。

それが小泉内閣の「聖域なき構造改革」のもと、見直しを迫られた。04年、厚生労働省の専門委員会が低所得世帯と比較して5年ごとに水準を検証することを提案。骨太の方針06にも「低所得世帯の消費実態等を踏まえた見直し」が明記された。

今年10月の引き下げで、高齢者世帯などの基準は一般世帯の6割を下回ることが見込まれる。引き下げはどこまで許容されるのか。議論はないままだ。

■引き下げ民主主義

もう一つの問題が、生活保護制度の外に広がる貧困だ。

扶養は家族の義務との考えが強調される日本では、生活保護の受給のハードルは高い。保護基準以下の世帯のうち実際に制度を利用している割合は、2割に満たないとの研究もある。

さらに、非正規の増加など雇用環境の悪化で、ワーキングプア(働く貧困層)が広がり、働けば自立できるという前提も崩れてきた。

こうした貧困の広がりが、生活保護に厳しい空気を生んでいる。

社会の断層を修復するはずの政治も、むしろ対立を利用しているように見える。

芸能人の母親の生活保護受給に対するバッシングが高まり、生活保護を揶揄(やゆ)する「ナマポ」が流行語大賞の候補になった12年、自民党は「生活保護の給付水準10%引き下げ」を衆院選の公約に掲げ、政権復帰した。

政治学者の丸山真男は「『文明論之概略』を読む」の中で、人をねたみ、引きずり降ろすことで満足を得ようとする振る舞いを「引き下げデモクラシー」と呼び、戒めている。足の引っ張り合いを続ければ、最低保障の底は割れかねない。

そんな政治に歯止めをかけるのも、25条の役割ではないか。

■生活に生かす営みを

現代にふさわしい「健康で文化的な最低限度の生活」とは何か。どの程度の水準の生活を、同じ社会に生きる人に保障すべきなのか。

25条の理念を改めて社会全体で共有するための、新たな議論が必要だ。

9年前、民主党政権が誕生した時に、その機運が盛り上がりかけたことがある。厚生労働相のもとに「ナショナルミニマム研究会」が設けられた。

健康で文化的な最低限度の生活を守るには生活保護制度だけでなく、子ども手当や住宅手当など、重層的な取り組みが必要だ。そんな議論がされた。

もちろん実現は容易ではない。国民的合意を得るには時間もかかる。しかし政治にとって、避けられぬ課題のはずだ。

25条の理念をどう暮らしに反映していくか。それを問い続けることは、私たちがどんな社会を目指すかを考えることにほかならない。



「憲法70年」のシリーズは今回で終わります。
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[読売新聞] 日銀物価目標 達成時期の削除は現実的だ (2018年04月30日)

脱デフレの時期を明示しないことで、金融政策の自由度を高める狙いがあるのだろう。現実的な判断と言える。

日銀は、黒田東彦総裁の再任と2副総裁の交代後初めての金融政策決定会合を開いた。これまで「2019年度頃」としていた物価上昇率2%の目標達成時期を、経済動向の見通しを示す文書から削除した。

黒田氏は記者会見で「(達成時期の)数字のみに過度な注目が集まることは適当とは言えない」と述べ、時期を定めずにデフレ脱却に取り組む考えを強調した。

2013年に発足した黒田日銀は当初、2年で目標の2%を達成すると掲げた。物価の低迷が長期化したため、達成時期の先送りは6度に及んだ。

時期の削除には、守れない約束を重ねて日銀の信任が損なわれる事態を避ける意図も窺(うかが)われる。

足元の消費者物価上昇率は0・9%で、目標に遠く及ばない。

若田部昌澄副総裁は、3月の衆院所信聴取で「2%の達成が難しければ追加緩和を提案する」と明言した。日銀が「19年度頃」を掲げ続ければ、市場で追加緩和の観測が強まるのは必至だった。

黒田日銀の異次元緩和は5年を超え、緩和策をこれ以上強化すれば弊害が広がりかねない。

銀行の貸出金利が下がり、収益が圧迫されている。利ざやの縮小によって新規融資が滞り、かえって金融緩和の効果を損なっているとの見方もある。

日銀が年6兆円のペースで実施している上場投資信託(ETF)の購入や、全発行額の4割に達した大量の国債買い入れは、市場機能をゆがめている面がある。

今、求められるのは大規模緩和の利害得失を冷静に見極め、柔軟に政策を検討する姿勢だろう。無論、短兵急な金融引き締めへの転換は厳に避けるべきだ。

米欧は日銀と同じ2%程度の物価上昇目標を掲げるが、目標に達する前から金融緩和策の出口戦略に乗り出している。

米連邦準備制度理事会(FRB)は、数年後までの利上げペースや、量的緩和縮小の工程表を示し、市場との丁寧な対話に努めている。重要な観点である。

日銀の緩和拡大に限りがあるだけに、持続的な経済成長には政府の役割が一層重要となる。

企業の設備投資を後押しする規制緩和を加速する。働き方改革の実現で生産性を高める。こうした政策で消費拡大が生産を押し上げる好循環を作りたい。
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2018年04月29日

[産経新聞] 【主張】日銀の物価目標 「時期削除」の説明足りぬ (2018年04月29日)

日銀が、物価上昇率2%目標を達成する時期の見通しを具体的に明示することをやめた。金融市場から「日銀の約束」と受け止められることを避けるためだという。

従来は「2019年度ごろ」としていた。その達成が難しくなれば、日銀が追加金融緩和を講じるとの期待が高まる。そんな動きに政策が縛られないようにする狙いがあるのだろう。

もとより、日銀が目指すべきはデフレ脱却を確実に果たすことである。2%目標はそのための手段にすぎない。いたずらに目標時期にとらわれて場当たり的に政策を変更するのは望ましくない。

だが、唐突に時期の明示をやめた波紋は小さくない。2%を確実に果たすという日銀の決意がこれで理解されるのか。日銀は、できるだけ早期に2%を実現する方針に変更はないという。その道筋をどう描いているのかを、もっと丁寧に説明すべきである。

黒田東彦総裁の下での大規模緩和は、2年程度で2%を果たすと宣言して5年前に始まった。だがその後、6度も達成時期を延期して日銀の信頼を損ねてきた。

思うように物価が上がらぬ現実に対し、日銀は1年半前の総括検証を経て、期限を区切った「短期決戦」ではなく「持久戦」へと路線を転換している。今回の決定もその流れに沿うものだろう。

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達成時期の見通しは「経済・物価情勢の展望(展望リポート)」に記載されてきたが、金融政策決定会合でその文言を削除した。

同時に日銀は、物価が2%に向かって上昇する方向性には変化がないとしている。黒田総裁も記者会見で「19年度ごろ2%を達成する可能性が高い」と述べた。

問題はこうした認識の説得力である。政策委員が示した物価見通しの中央値は、19、20年度とも1・8%だった。さらに大半の委員は見通しが下ぶれするリスクが大きいとみる。これでは2%を十分に見通せるとは言い難いと日銀は厳しく受け止める必要がある。

大規模緩和が長期化し、金融機関の収益悪化や市場のゆがみといった副作用が強く意識されている。そこに目配りし、いかに効果的な政策を講じるかが大事だ。きめ細かく柔軟なかじ取りが求められるのはもちろん、その意図を国民に分かりやすく示す。再任された黒田総裁の下で始動した新体制が果たすべき役割である。
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[産経新聞] 【主張】昭和の日 時代の意義を伝え続けよ (2018年04月29日)

「ああ昭和食えない食える食い飽きる」。平成17年の本紙「テーマ川柳」欄に載った句で、昭和時代における国民の食生活の激変ぶりを、動詞の活用をなぞるような形で見事に捉えている。

ことほどさように昭和は、歴史上まれにみる激動の連続だった。これほど明確に印象づけられた時代がかつてあったろうか。

昭和の幕開け早々には世界恐慌に直撃され、やがて戦時色を強めながら先の大戦へと突入し、敗戦に至る。直後の荒廃と窮乏からみるみる復興を果たすと、高度経済成長によって世界有数の経済大国へと発展した。「昭和元禄」の呼び名に象徴されるような平和と繁栄を享受したのである。

昭和天皇の崩御で平成を迎え、30年がたった。昭和以前の生まれはおよそ4人に3人となったが、その人たちが今でも特別の感慨をもって昭和時代を語るのは、戦争による甚大な犠牲や戦後の国民の努力が現在の日本の礎となっているからに違いない。

「昭和の日」には、あらためてそのことを深く胸に刻みたい。

一方で、昭和が遠ざかっていく寂しさを感じることも多いのではなかろうか。来年4月30日の天皇陛下の譲位に続き、5月1日には皇太子さまが即位され、平成に代わる新しい元号が始まる。昭和への郷愁がいやがうえにも増し、あの時代の空気を今一度吸ってみたいとの思いにも駆られよう。

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町の路地には子供らの遊ぶ声が響き、ときに近所のおじさんの厳しくも優しい一喝が交じったりした。漫画のサザエさんの世界のように近隣が助け合い、地域で子供を見守る温かさがあった。家庭内では、ちゃぶ台を囲んでの団欒(だんらん)の光景がごく普通にみられた。

たとえ時代が移り、生活スタイルが変わろうとも、昭和時代の温(ぬく)もりは懐古や郷愁を超えていつまでも大切にしたいものである。

戦後の復興、高度成長とともに歩んできた団塊の世代の誰もがまもなく70歳代となり、新しい元号の時代は彼らの孫の世代も加わって創造していくことになる。

物心ともに豊かな日本であり続けたいと、夢や期待が日一日と膨らむこの頃である。そんな次代への教訓とするためにも激動の昭和を生きた人たちはぜひ、昭和という時代の匂いや悲喜こもごもの経験、さまざまな意義を、後の世代に伝え続けてほしい。
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[東京新聞] 週のはじめに考える 選挙のメメント・モリ (2018年04月29日)

「同意する」−。今日も世界中で、そのボタンがポチッとされておりましょう。「いいね」同様、ネット時代になって急に身近になった言葉です。

ちょっと前になりますが、海外メディアが英国で行われた無料Wi−Fi(ワイファイ)提供の、ある実験の話題を伝えていました。

Wi−Fiを使うには利用規約に「同意する」必要があり、中には「(あなたは)第一子を永久にわれわれの手に委ねることに同意する」といった項目も含まれていたのに、短時間で何人もの人が、「同意する」を選んでしまったそうです。


◆精査せずに「魂を譲渡」
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やはり英国のあるオンラインのゲームショップは、利用規約の中に「貴店に魂を譲渡することに同意する」といった項目を潜ませておいた。しかし、実に七千五百人もの客が同意してしまった、といいます。

幸い前者は実験、後者はジョークでしたが、私たちが利用規約を精査せず、どれほど不用心に「同意する」を選んでいるのかを示す結果だとは言えるでしょう。

無理からぬ面もあります。例えばスマホのアプリでも、利用規約や個人情報取り扱い方針の長いこと、細かいこと。あれを全部読んで判断して「同意する」なんて、ほとんど非現実的でしょう。

わが子や魂ほどではないにしろ、あなたの位置情報をいただく、個人情報を第三者に提供する、といった繊細微妙な条件が含まれていることもあるのに、それと知らず「同意する」をクリックしていることも少なくないはず。後で、こう言いたくなるでしょう。

「確かに『同意する』はクリックしたが、そんなことにまで同意したつもりはない」


◆そこまでは「同意」せず
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ここで思い浮かぶのは、選挙における当選者、あるいは多数の議席を得て政権を握った政党、または、そのリーダーのことです。

例えば、トランプ米大統領。この人物を、大統領にすることに多くの人が「同意した」ことはまぎれもない事実です。しかし、その人々は、地球温暖化防止の国際的ルール・パリ協定からの離脱や、中東情勢を混迷させるイラン核合意の破棄、イスラエルの米大使館のエルサレム移転といったことにも「同意した」のでしょうか。

例えば、安倍晋三首相。確かに、選挙では自民党が圧勝、投票者の大勢が、政権を任せることには「同意」したと言えるでしょう。しかし、人々は果たして、戦争に近寄る安保関連法や国民の自由を脅かしかねない「共謀罪」法をつくることにまで同意する、という認識で投票したでしょうか。

仮に、公約に挙げていた政策だとしても、選挙の勝利だけで、それらに「同意」を得たというのは無理がありましょう。アプリの利用規約と似たりよったり、やたらに長く、多項目。すべてを是と判断して「同意する」をクリック…いや、投票したという人が多くいたとはとても思えません。

じき憲法記念日ですが、わけても九条改憲の企図には、違和感を禁じ得ないのです。古賀誠・元自民党幹事長も語ったように「『九条を変えるべきだ』という国民の熱意は一つも伝わってこない」。国民は求めていないのに、憲法に縛られる権力の側だけが「とにかく変える」と色めき立っている。

無論、最後には国民投票で「同意する」「しない」が問われますが、そもそも、首相が改憲に旗を振ることに有権者は「同意した」のでしょうか。最新の世論調査によれば、安倍政権下での改憲は望まない、が三分の二。つまり、こんな意識では。「確かに投票はしたが、そんなことにまで同意したつもりはない」

選挙で勝った側が政権を担うのは当然、選挙で前面に打ち出した主張に沿って政策を進めるのもまたしかりでしょう。しかし、別に有権者から白紙小切手をもらったわけではありません。

では、どう振る舞うべきか。

言葉遊びをさせてもらえれば、「死を想(おも)え」という意のラテン語の警句を借りて、安倍さんやトランプさんにはこう申し上げたい。

メメント・モリ、と。


◆「多数決」機能するには
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選挙の拠(よ)って立つ「多数決の原理」が、民主主義を支える原理として機能する時、所与の条件ともいえるのが、勝った側の「慎み」でしょう。敗れた少数側の主張に対する十分な配慮なくば、多数決はやすやすと分断を生みます。

加えるに、自民党とて有権者全体でみれば25%の信任を得ただけですし、トランプ氏も得票数では対立候補に負けています。

だからこそ十分な慎みをもってメメント・モリ。勝者に投票されなかった票=死票に込められた思いを想え、と言いたいのです。
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[毎日新聞] 点字毎日に特別賞 信頼高め使命果たしたい (2018年04月29日)

週刊の点字新聞「点字毎日」が、日本記者クラブ賞の特別賞を受賞した。「収益性よりも社会的弱者への貢献を優先した100年近い歩み」に加え、「ジャーナリズムの使命の広がりについても考えさせてくれた」と評価された。

点字毎日は専従記者の取材と独立した編集で発行する日本唯一の点字新聞で、1922年に創刊した。

発刊とともに点字普及のキャンペーンを張り、25年の普通選挙法公布で点字投票が認められた。

96年の歩みは、全ての人が包摂されるユニバーサル社会の構築に向けた取り組みの歴史でもある。

情報技術(IT)の発達で、点字をめぐる環境は大きく変わった。活字を機械で読み取り音声に変換するソフトが開発され、視覚障害者はたとえ点字を知らなくても、日常生活を送ることができる。

しかし、自動販売機や案内板への使用に見られるように、インフラの一部として点字は社会に根付いている。視覚障害者が社会と交わる重要な情報伝達手段である。

1世紀近くをかけて培われた点字新聞への信頼度は高い。

災害時にはとりわけ確かで安定した情報の提供が求められる。阪神大震災や東日本大震災の発生時には、被災地ルポや視覚障害者が直面する問題を伝えた。

社会的弱者の視点で問題を提起して議論を広げ、解決策を探ることも、点字新聞の重要な機能だ。

2016年に施行された障害者差別解消法は、障害を理由とする差別を禁止し「合理的配慮」を求めたが、その解釈の曖昧さを取り上げた。

集会で点字資料の提供を求めても準備や費用が過重な負担とされたり、難解との理由で点訳が拒否されたりしかねない懸念を指摘した。

点字毎日は21人のスタッフが、取材から製版・印刷まで携わる。視覚障害のある記者が「当事者の視点が反映された新聞を届けたい」と取材・編集に当たっている。

白杖(はくじょう)をついた人の駅ホームからの転落事故では、警察に対する取材を通じて詳細な状況を聞きだし、対策を徹底的に探ったこともある。

きめ細かい情報提供と的確な問題提起で、バリアフリー社会実現の使命を果たしていきたい。
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[毎日新聞] カジノ法案を国会に提出 賭博が観光の目玉なのか (2018年04月29日)

賭博の一部を合法化する法案だ。懸念が払拭(ふっしょく)されたとは言えない。

政府はカジノを含む統合型リゾート(IR)実施法案を国会に提出した。今国会での成立を目指す。

法案の一番の問題は、約320万人と推計されるギャンブル依存症者の増加につながりかねないことだ。

対策として、日本人客の入場回数を「7日間で3回、28日間で10回」に制限する。さらに、1回6000円の入場料を徴収する。

だが、この入場制限では不十分だ。上限まで通えば、ギャンブル依存そのものではないか。

入場料の6000円は、シンガポール並みの8000円を主張した公明党と、5000円が上限とする自民党の妥協の産物だ。

カジノは高額の賭け金が動く。政府が当初与党に提示した1回2000円の入場料よりはましだが、利用者心理に照らせば、入場の歯止めにはなりにくいだろう。

設置数は3カ所だが、最初の認定から7年後に見直され、さらに増える可能性がある。ギャンブル依存症者が全国に広がりはしないか。政府が強調する「世界最高水準の規制」とはとても評価できない。

観光の目玉、東京五輪後の成長戦略の柱といった声もカジノ誘致を後押しする。

だが、自然や文化資源にめぐまれた日本でなぜ観光の目玉が賭博なのか。根本的な疑問として残る。

米国ではカジノ施設の倒産も相次いでいる。また、韓国ではカジノができた町で自己破産や多重債務による自殺者が増えたという報告がある。ギャンブルにのめり込む人の財布を糧に成長する産業が、長い目でみて地域を潤すだろうか。

カジノ設置に前のめりな政府や一部の自治体は冷静に考えるべきだ。

暴力団の介入や治安の悪化、青少年への悪影響などさまざまな負の作用が懸念される。世論調査でカジノ反対の意見が多数を占めるのは、国民の不安の反映だろう。

国会には、ギャンブル依存症対策の法案が提出されている。与党がその審議を先行させるのは当然だ。

さらに、カジノ設置の必要性について、根本から議論すべきだ。国民の理解がないまま、解禁ありきで進めてはならない。
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[読売新聞] 過労死防止大綱 働き方改革の促進で実効性を (2018年04月29日)

痛ましい過労死や過労自殺を根絶するため、長時間労働の是正を中心とした働き方改革を加速させねばならない。

働き方改革関連法案が衆院で審議入りした。政府は最重要法案と位置づけ、今国会での成立を目指す。労働者への影響は大きい。審議拒否を続ける野党は速やかに復帰すべきだ。

折しも、厚生労働省が過労死等防止対策大綱の改定案を公表した。今夏にも新大綱が決まる。2014年施行の過労死等防止対策推進法に基づき、15年に現大綱が策定されてから初の改定だ。

改定案は、過労死の調査研究を主とした現大綱の成果を踏まえ、対策をより具体化した。

重点課題として、終業と始業の間に一定時間を確保する「インターバル制度」の普及促進を新たに掲げた。導入率などの数値目標を定めることも打ち出した。

労働時間の適切な把握や、違法な長時間労働に対する指導監督の強化も、改めて強調している。

働き方改革関連法案や、電通社員の過労自殺を受けた緊急対策と重なる内容が多く、目新しさはない。「何をやるか」ではなく、いかに迅速に実行するかが問われる段階だということだろう。

過重労働による脳・心臓疾患で死亡し、16年度に労災認定された人は107人に上る。うつ病など精神疾患による自殺や自殺未遂での認定も84人だった。認定要件は厳しく、氷山の一角とされる。

長時間労働者の割合は減少傾向にあるものの、依然として30?40歳代男性の15%が「過労死ライン」に近い週60時間以上の勤務をしている。有給休暇の取得率も5割弱で横ばい状態だ。職場でのパワハラなどに悩む働き手も多い。

新たな大綱に実効性を持たせるためには、働き方改革関連法案の早期成立が不可欠だ。

法案は、実質的に青天井だった残業時間に罰則付きの上限規制を取り入れた。大綱案にあるインターバル規制については、企業に導入の努力義務を課す。労働時間の適切な把握も義務付けた。

有給休暇の一部を企業の責任で取得させる制度も盛り込んだ。

高収入の一部専門職を労働時間規制から外す制度の創設に、野党は「過労死を助長する」と反発する。それならば、働き手の命と健康を守るための措置について、議論を深めるべきではないか。

無理な納期を押しつけられるといった取引先との関係なども、過重労働を招く要因だ。社会全体での取り組みが求められる。
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[朝日新聞] 働き方改革 国民不在の数の横暴 (2018年04月29日)

野党の大半が欠席したまま、政府・与党が衆院の本会議と厚生労働委員会で、働き方改革関連法案の審議に入った。安倍首相の言う「丁寧な説明」とは正反対の振る舞いだ。一体、誰のための改革なのか。

首相は今国会を「働き方改革国会」と呼び、関連法案を最重要課題に位置づけてきた。何としても成立させないと、政権の求心力が低下しかねない。そんな首相のメンツにこだわった、国民不在のやり方ではないか。

すべての働く人たちの命と健康に関わる話だ。不安に丁寧に耳を傾け、熟議を重ねてより良い案に練り上げるのが政府・与党の責任だ。数の力で押し切ることは許されない。

森友・加計問題や防衛省・自衛隊による情報隠蔽(いんぺい)などで後ろ向きな対応を続ける政府・与党に対する野党の反発で、国会全体がいま不正常な状態だ。

だが、厚労委ではそれ以前の今月半ばから、大半の野党が欠席のまま審議を進める異常事態が続いている。働き方改革をめぐる厚労省や加藤厚労相の対応のまずさが原因だ。こんな状態で、どうして実のある議論ができようか。

不信感を招いているのが、裁量労働制を違法に適用していた野村不動産に対する、厚労省東京労働局による昨年末の特別指導だ。労働規制緩和を懸念する声に対し、安倍首相や加藤厚労相は特別指導を、取り締まりの成果のように説明してきた。

だが、特別指導の公表と同じ日に、同社の社員が過労死で労災認定されていたことが判明。亡くなった社員がいることを厚労相はいつから知っていたのか。そのことを知りながら取り締まりの成果だけを強調していたのではないか。加藤氏は説明をかたくなに拒んでいる。

労災申請などの端緒がないと違法な事例を見抜くことは難しいのが実態ではないのか。そうした現実すら認めないのでは、実効性のある監督・指導態勢の議論など出来ないだろう。

野党は、一定年収以上の専門職を労働時間規制の対象から外す「高度プロフェッショナル制度」(高プロ)が、法案に盛り込まれていることにも強く反発している。もともとは別の法案で、審議すらできないまま廃案になったものだ。

高プロと同様に盛り込まれる予定だった裁量労働制の対象拡大は、関連する実態調査でずさんなデータ処理が相次いで見つかり、削除された。裁量労働制以上に規制を緩めるのが高プロである。同様に法案から切り離し、出直すのが筋だ。
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[読売新聞] 次世代車開発 変革期を乗り切る戦略が要る (2018年04月29日)

日本経済を支える基幹産業の競争力を維持し、構造転換をいかに進めるか。産学官の連携強化がカギとなろう。

経済産業省が、自動車産業の次世代戦略を議論する官民会議を設立した。

電気自動車(EV)や燃料電池車(FCV)などの電動車で技術革新を推進し、国際競争を勝ち抜く方策を練り上げる狙いがある。今夏にまとめる報告書を、政府の成長戦略に反映させる。

自動車産業は、自動運転、電動車への移行など100年に1度とされる変革期を迎えている。

EVやFCVの開発促進を中心テーマに据えた官民会議の設置は時宜にかなっている。

北京モーターショーでは、各メーカーがEVの最新モデルを披露した。2019年からEVなどの普及策を始める中国での優勝劣敗は、自動車メーカーの勢力図を塗り替える可能性がある。

ガソリン車で高い競争力を持ち、EVの車載電池の開発でも優位に立ってきた日本勢が、次世代の電動車市場をリードしたい。

電池開発では中国企業の台頭が著しい。電池やモーター製造に欠かせないレアアースなどの供給でも中国の存在感が増している。

官民会議では、一企業や業界の枠を超えて、技術の共有や法制度の見直しなどについて、建設的な議論を展開してもらいたい。

気がかりなのは、電動車の普及に伴って、自動車関連産業が大きな転換を迫られることだ。

自動車産業では、国内雇用の約1割にあたる500万人が働く。出荷額は50兆円に達し、輸出額は全体の20%を超える。

ガソリン車などの部品点数は約3万点に上るが、EVでは1万点と大幅に少なくなる。

自動車製造は、大手メーカーを頂点に、幅広い企業が部品供給などを担ってきた。電動車の普及に伴う部品減少がもたらす影響は小さくない。とりわけ、下請け企業が軒を連ねる企業城下町への打撃は深刻だろう。

ガソリンスタンドや自動車修理工場など周辺産業も経営手法の抜本的な見直しが避けられない。

市場の大きな変化を乗り切るための政策的な支援も大切だ。政府には、次世代車や自動運転車の普及に向け、産業の構造転換を促す施策が求められる。

EVの充電施設やFCVのための水素ステーションの整備を後押しする規制緩和、自動運転の実現に向けた法体系の整備などを急ぐ必要がある。
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[朝日新聞] 福田次官処分 これでは再生できない (2018年04月29日)

これが首相が約束した「うみを出し切る」ことなのか。

財務省が、辞任した福田淳一前事務次官にセクハラ行為があったと認め、減給処分に相当するとの見解を発表した。

ところが、その説明は到底納得できるものではない。

財務省によると、福田氏は依然として疑いを否定している。しかし、問題の日にテレビ朝日の女性社員と1対1で飲食したことは認めた。そして女性側の主張を覆すだけの反論をしていない。だからセクハラがあったと判断した。これをもって調査は終了する――というのだ。

つまり具体的な事実を認定しないまま、とりあえず処分だけして幕引きにするという話である。大型連休が終わるころには世間の関心も薄れるだろう。そんな下心がのぞく。

もう一つ見過ごせないのは、財務省が「調査に時間をかけすぎることも被害者保護上問題だ」とコメントした点だ。被害者の人権を踏みにじる言動を重ねた揚げ句に、「被害者保護」を理由に調査の打ち切りを正当化する。あいた口がふさがらないとはこのことだ。

女性社員は、1年半ほど前から取材のために福田氏と複数回会い、そのたびにセクハラ行為があったと訴えている。これに対する回答もない。財務省の発表を受けたテレビ朝日が、引き続き詳細な調査をするよう要請したのは当然である。

責任の所在を明確にするためにも、そしてセクハラを生んだ土壌を改めるためにも、事実の解明が欠かせない。それをせずに、「先進的組織に生まれ変わる」(矢野康治官房長)と言っても、誰が信じるか。口先で終わるのは明らかだ。

財務省への批判がこれほど高まった原因は、一義的には福田氏の行為にある。しかし、それだけではない。問題の発覚当初からの役所全体の対応が、常識とあまりにかけ離れていたことが、人々の怒りを呼んだ。

その自覚はいまもないのだろう。「(福田氏は)はめられて訴えられているんじゃないかとか、ご意見は世の中にいっぱいある」と述べた麻生財務相は、おとといの会見でその意図を問われ、「そういう話があると紹介しただけ」と言い放った。

これが、福田氏の任命や監督について、重い責任を負うべき大臣の態度なのか。

事務方トップが破廉恥行為で地位を追われ、「最強官庁」の名声も地に落ちた。なぜこんなことになったのか。組織として原因を究明し、病の根を絶たない限り、財務省の再生はない。
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2018年04月28日

[産経新聞] 【主張】南北首脳会談 微笑みより真の非核化を 米朝会談に向け圧力継続せよ (2018年04月28日)

韓国の文在寅大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長が軍事境界線のある板門店で会談した。

両氏が署名した共同宣言は、「南北は完全な非核化を通じて、核のない朝鮮半島を実現するという共通の目標を確認した」とうたった。年内に朝鮮戦争の終戦宣言をし、休戦協定を平和協定に転換するための会談を推進することでも合意した。

両氏が手を携えて歩くなど、融和の演出は十二分に行われたが、これで実質的にも大きな前進があったようにとらえるのは、大きな間違いである。

《「融和」にだまされるな》

安倍晋三首相は南北の共同宣言について、「前向きな動きと歓迎する」と語ったが「北朝鮮が具体的な行動を取ることを強く期待する」と、くぎを刺すことを忘れなかった。当然である。

金氏の言動は、先の中朝首脳会談の際の態度から大きく前進したわけではない。「朝鮮半島の非核化」をうたったことにも新味はない。とりわけ、北朝鮮の核放棄に向けた具体的な道筋が示されていない点を、冷静に受け止めなければならない。

さきの日米首脳会談では、核・生物・化学兵器とあらゆる弾道ミサイルの放棄を求めることを確認した。共同宣言がいう「非核化」がこれに合致するのかどうかは極めて疑わしい。

北朝鮮に核・ミサイル戦力などを放棄させられるかは、6月上旬までに開催予定の米朝首脳会談にかかっている。

変わらぬことは、日本をはじめとする国際社会がトランプ米大統領が強い交渉力をもって臨めるよう、北朝鮮に対する「最大限の圧力」をかけ続けなくてはならないという点である。

今回の会談は、その重要性を知らしめたものともいえよう。

満面の笑みで向き合う両氏の姿には違和感を覚えた。同じ朝鮮民族として、「分断」を終わらせたいとの思いはあるのだろう。外交儀礼の側面もある。

だが、金氏は実力者だった叔父の張成沢氏を粛清し、兄の金正男氏を化学兵器で暗殺させた。そのような人物に、文氏は何もなかったように親しげに接した。

北朝鮮は、日本人を含む多数の外国人を拉致し、国内では政治犯の虐待を続けている。

金氏は、未明や早朝が多かった弾道ミサイル発射を念頭に、文氏に「もうたたき起こしません」と中止を約束したという。

周辺国を脅しながら、それを冗談のように語るのは極めて不謹慎である。非核化に向け厳しい議論ができない南北首脳会談の限界を示したように思われる。

核・ミサイルの挑発を繰り返していた北朝鮮がなぜ、微笑(ほほえ)み外交に転じたのか。それは文氏の言う「金氏の英断」などではない。

金氏はそうせざるを得なかったにすぎない。国連安保理決議をはじめとする国際社会の制裁が効いている。北朝鮮は、制裁緩和や援助といった見返りを期待しているはずだ。

これまで何度もうそをついてきた北朝鮮が相手の交渉には、慎重さが何より大切だ。金氏の言動に過大な期待を抱いては危うい。

《拉致はどうなったのか》

今回の「非核化」の表明を過大に評価せず、実際の行動を基準に判断していくべきである。

文氏は、先に金氏が核実験と大陸間弾道ミサイル(ICBM)の発射実験中止を表明したことを非核化への一歩とたたえた。

だが、北朝鮮が自身を「核保有国」とする立場は、南北会談を経ても変わらなかった。北朝鮮の核・ミサイルの脅威をなくす話し合いは、トランプ氏にゆだねられることになる。

共同宣言で注意すべきは、年内に朝鮮戦争の終戦を宣言して、平和協定を結ぶとした点だ。南北に加え、米中両国の4者協議を推進するのだという。

在韓米軍は、在韓国連軍でもある。朝鮮戦争の終戦は、朝鮮半島の安全保障環境を根本から変えることになる。核・ミサイル問題と同様、日本の安全保障を左右する問題であり、日本が局外に置かれることは受け入れられない。

文氏が安倍首相に対して取り上げることを約束した拉致問題は、共同宣言でも共同会見でも触れられなかった。どうなっているのか。日米韓の連携という基本を文氏は忘れてはならない。
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[東京新聞] 南北首脳会談 非核化宣言を行動へ (2018年04月28日)

十年半ぶりに開かれた南北首脳会談で、焦点となっていた核問題は、「完全な非核化」で双方が合意し、宣言文に盛り込まれた。次は実行に移す段階だ。

これほど南北の距離が縮まり、首脳会談、そして共同記者会見まで行われるとは、誰も想像できなかったに違いない。

昨年北朝鮮は、ミサイルの発射実験を十五回繰り返した。「水爆実験」と称する六回目の核実験まで強行した。

米国との軍事衝突の危険性がささやかれ、不安が高まった。


◆想像できない接近
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ところが今年一月一日になって金正恩(キムジョンウン)・朝鮮労働党委員長が新年の辞を発表し、一転して韓国で開かれる平昌冬季五輪への協力を表明し、一気に動きだした。

まず北朝鮮を対話に導いた文在寅(ムンジェイン)・韓国大統領の粘り強い努力を高く称賛したい。

韓国側で会談に応じた正恩氏の決断も評価したい。

その上で、首脳会談後に発表された「板門店宣言」を見ると、不十分な点もある。

会談の最大の焦点だった「非核化」については、「完全な非核化を通じ、核のない朝鮮半島を実現するという共通の目標を確認した」という表現になった。

韓国は、これまで正恩氏が間接的に表明してきた「核放棄」の意思について、「完全な非核化」という表現で、宣言文に盛り込むことを目指していた。

そして、六月初旬までの開催で調整中の、米朝首脳会談につなげる考えだった。

北朝鮮側は、韓国側を含めた「朝鮮半島の非核化」を主張しており、将来的な在韓米軍の縮小、撤退を念頭に置いているようだ。

正恩氏は共同記者会見で、「過去に結ばれた南北の宣言についての徹底した履行」を求めた。


◆非核化で食い違い
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これは一九九一年十二月に韓国との間で合意、発表した「朝鮮半島の非核化に関する共同宣言」を指すとみられる。そうなら、北朝鮮は自国だけの非核化を、拒否しているとも受け取れる。

核問題について北朝鮮は今月二十日、朝鮮労働党中央委員会総会を開き、核実験や、大陸間弾道ミサイル(ICBM)発射実験の中止と、北東部・豊渓里(プンゲリ)核実験場の廃棄を決定した。

この決定には、核放棄をうかがわせる表現がなく、逆に「核保有国宣言であり、核は放棄しない」と受け取る見方もある。

宣言は、南北の食い違いを残したまま意見を折衷した。それでも正恩氏の非核化への意思を、文書化できたことは価値がある。

合意文を土台に、北朝鮮はできるだけ早く、核施設の公開、査察の受け入れといった具体的行動に進むべきだ。実行がなく理念ばかりなら、米朝首脳会談は不調に終わってしまう。

さらに発表文には、朝鮮戦争(一九五〇〜五三年)について、区切りをつける「終戦宣言」が盛り込まれた。

朝鮮戦争は休戦中であり、法的には戦争が継続している。

南北は「いかなる武力もお互いに使わない」とし、平和的な共存を宣言した。北朝鮮は体制の存続に安心感を抱き、核放棄へ踏みだしやすくなるだろう。

朝鮮半島の緊張状態を根本的に解消するには、朝鮮戦争の正式な終結が欠かせない。

今後、南北朝鮮、米中の関係国首脳が集まり、この宣言を再確認したうえで、休戦協定を平和協定へと早急に切り替えるべきだ。

この他、南北首脳会談の定例化に合意した。秋には文氏が、平壌(ピョンヤン)を訪問するという。

過去の南北首脳会談は、一時的な和解ムードの盛り上げには成功したが、韓国側の政権交代や、軍事的な摩擦によって、関係がたちまち冷却化した。

その反省を生かしながら、今後も、密接な意思疎通を欠かさないでほしい。

朝鮮戦争後に「国境」として設置されたのが「非武装地帯(DMZ)」だ。

その中にある板門店(パンムンジョム)の軍事境界線を午前九時半、正恩氏が徒歩で越え、文氏と握手した。


◆壁がなくなる期待
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板門店は、朝鮮半島の希望と悲劇の縮図だった。鉄条網なしで南北が接触する場所として設けられ、多彩な交流が実現した。一方で、乱闘、銃撃、地雷の爆発が起き、多くの人命が失われている。

二人はその後、高さ五センチ、幅五十センチのコンクリート製境界線をまたぎ、今度は北朝鮮側に立った。

わずか十秒の出来事だったが、南北の壁が取り払われる予感を感じた人も多かったに違いない。世界は歴史の瞬間を目撃した。裏切らないでほしい。
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[毎日新聞] 11年ぶりの南北首脳会談 非核化への流れ止めるな (2018年04月28日)

最大の課題だった北朝鮮の核・ミサイル問題よりも、南北の融和を優先させた印象は否めない。それでも、ようやく芽生えた非核化の流れを決して止めてはならない。

韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領と北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長が南北軍事境界線のある板門店で会談し、共同宣言を発表した。

今回の会談は、6月までに行われる米朝首脳会談を前にした「橋渡し」との位置付けだった。金委員長には、北朝鮮の外交や軍の責任者が随行していた。核問題で思い切った決断がなされるとの期待感があった。

しかし、発表された「板門店宣言」では「完全な非核化により、核のない朝鮮半島を実現するとの共通の目標を確認した」との表現にとどまった。会談後の共同発表で、金委員長は「我々の民族の新しい未来」などと南北関係改善を強調するだけで、核問題に触れなかった。


演出された融和ムード
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「朝鮮半島の非核化」は、米国による韓国への核の傘を問題視する北朝鮮に配慮した表現だ。韓国政府は「米朝の立場をすべて考慮した現実的な方法を議論する」と説明する。議論の行方次第では在韓米軍の縮小や撤退に道を開きかねない。

米朝首脳会談を前に原則的合意にとどめたのかもしれないが、北朝鮮の具体的な行動が盛り込まれなかったのは残念だ。

一方宣言では、朝鮮戦争の終戦宣言を年内に行うと明記された。中でも平和協定への転換に向け「南北と米の3者ないし南北米中の4者会談の開催を積極的に推進する」との合意は目を引く。

これまでも2007年の南北首脳会談後の共同宣言で「直接関連する3者ないし4者の首脳が朝鮮半島地域で終戦を宣言する」と盛り込まれたことがある。朝鮮戦争の休戦協定は米国を中心とする国連軍と、北朝鮮軍及び中国軍が署名した。韓国は休戦協定に反対して署名しなかったが、現場は朝鮮半島だった。

休戦状態が完全な終戦に向かえば、日本をはじめとする北東アジアの安定化に大きく寄与する。年内と区切ったのは、北朝鮮の非核化を同時に進める狙いがあるのだろう。

そうであればこそ、日本やロシアも加わる枠組みが必要だ。北朝鮮の核問題は、朝鮮戦争終結のレベルにとどまらず、この地域の安全保障環境に重大な影響を与えている。韓国政府は、地域の平和構築に向けた協議の重要性を改めて検討すべきだ。

きのうの会談では終始、南北融和ムードが演出された。金委員長は徒歩で軍事境界線を越え、北朝鮮の最高指導者として初めて韓国側に足を踏み入れた。板門店宣言署名後、両首脳は抱き合った。

金委員長は核開発の当事者であるにもかかわらず、文大統領が金委員長の「勇気と決断」を盛んに持ち上げたのは奇異でもあった。


合意の肉付けが必要だ
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今回の会談について、トランプ米大統領は「良いことが起きている」と歓迎した。北朝鮮は米朝首脳会談での成功を目指し、当面融和姿勢を取り続けるだろう。また文大統領には、朝鮮半島を再び危機に陥れないとの強い思いがある。

南北は合意と破棄の歴史を繰り返してきた。1972年には平和的な統一で合意した南北共同声明を発表した。92年には南北非核化共同宣言を発効したが、いずれも完全な履行には至らなかった。

このため、文政権は今回、米国との連携に力点を置いた。日本や中国など周辺国との協調姿勢も示している。着実な合意履行のため、韓国政府は今後も国際社会との連携を重視すべきだ。合意が着実に履行されれば、米朝首脳会談での北朝鮮の非核化議論を後押しするだろう。

北朝鮮は核保有国としての立場に変化はなく、米国と軍縮交渉に臨むに過ぎないとの否定的な見方と、場合によっては核放棄を含めた大胆な決断もありうるとの観測が交錯している。

とはいえ、北朝鮮核問題解決に向けた好機との見方は関係国の一致するところだ。合意履行が不十分な状況での行き過ぎた融和政策は禁物だが、信頼関係構築に向けて努力すべき時でもある。

安倍晋三首相は「北朝鮮をめぐる諸懸案の包括的な解決に向けた前向きな動き」と評価してみせたが、内容の論評は避けた。北東アジアの平和と安定のために日本が果たすべき役割を改めて検討すべきだ。
posted by (-@∀@) at 12:21| Comment(0) | 毎日新聞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

[朝日新聞] 南北首脳会談 平和の定着につなげたい (2018年04月28日)

このわずか数百メートルの歩みに、70年近くの分断と対立の重みがあった。金正恩(キムジョンウン)・朝鮮労働党委員長はきのう、北朝鮮の最高指導者として初めて軍事境界線を越え、韓国の地を踏んだ。

史上3度目の南北首脳会談が実現した。

「金委員長が境界線を越えた瞬間、板門店は分断ではなく、平和の象徴になった」

会談の冒頭で文在寅(ムンジェイン)・韓国大統領が語ったように、いまも冷戦構造が残る朝鮮半島に、新たなページが開かれつつあることを印象づけた。

両首脳は会談後、非核化や恒久平和の定着の問題を盛り込んだ「板門店宣言」に署名した。

文氏は今秋、平壌を訪問することが明記された。南北のトップ同士が意思疎通を深めることは望ましく、偶発事故の未然防止にもつながるだろう。

一方で宣言の他の中身は、07年の前回に出た南北共同宣言から大きな進展はなかった。非核化も平和構築の問題も、南北だけでは解決できないという限界も浮き彫りにした。

対立から和解へ。この流れを発展させるには、南北当事者と国際社会の協力が欠かせない。

■戦争を終わらせる

今年は朝鮮戦争の休戦協定が結ばれて65年。協定の半年前に生まれた文氏の歩みは、停戦下の緊張とともにあった。

今年こそ公式に戦争を終結させ、平和協定をめざす。今回の板門店宣言が掲げた目標だ。

かつて休戦協定に署名したのは国連軍と北朝鮮軍、中国軍の3者だったが、南北の当事者が主体的に和平を築く決意を込めたものだろう。

宣言では軍事面での信頼醸成が強調された一方、経済面での内容は乏しい。07年の宣言にあった経済協力を改めて推進するとしたが、具体的な事業には踏み込まなかった。

そこには韓国側の抑制がうかがえる。確かに、北朝鮮の融和路線への転換は歓迎すべきではあるが、まだ対話は緒についたにすぎない。

歴史的な板門店での握手と談笑が実現したことだけを理由に、国際制裁を緩めるのは適切ではない。民族の友好と、経済支援とを冷静に切り離した文氏の判断は賢明だった。

金氏は、核とミサイルを手放す意思は示しておらず、国際社会のまなざしは当然厳しい。

南北の和解をすすめ、平和と安定につなげるためには、北朝鮮の明確な核放棄が必須条件だ。その点を文氏は重ねて説き続けるべきである。

■非核化は「米朝」へ

最も注目された核問題について、板門店宣言は「完全な非核化を通じ、核のない朝鮮半島を実現する」とうたった。

国際社会が求める「完全で検証可能かつ不可逆的な核廃棄」の一部である「完全な非核化」に言及したのは前進だが、具体的な行動への言及はない。

北朝鮮がかねて主張する、在韓米軍を含めた朝鮮半島全体の非核化も盛り込まれていることから、北朝鮮が譲歩を示したと受け止めることはできない。

もともと今回は、6月はじめまでに予定される史上初の米朝首脳会談に向けた予備協議の色合いがあった。核問題については、米朝間の交渉に焦点が移ったとみるべきだろう。

トランプ米大統領は、今回の南北会談の結果について綿密に分析し、金氏から非核化への具体的な行動と約束を取りつける十分な方策を練るべきだ。

段階的に非核化をめざした過去の合意を生かせなかった失敗を繰り返さず、なおかつ、芽生え始めた和平の動きを摘んでしまわない。そんな巧みな配慮と外交戦術が求められる。

金氏と長時間ひざを交えた文氏は5月に訪米する。トランプ氏は謙虚に耳を傾け、本格的に朝鮮半島の将来像を考えた政策を打ち立ててほしい。

■日本も積極関与を

北朝鮮は先の党中央委員会総会で、国民の生活向上とともに周辺国や国際社会と緊密に連携し、対話することを決めた。

本気で経済の立て直しに取り組むつもりであれば、日本との関係改善も求めてくるはずだ。

安倍首相から要請された文氏は、きのうの会談で日本人拉致問題に触れることを約束していた。著しい人権侵害である拉致問題の一日も早い解決を求めるのは当然のことだ。

一方で非核化や地域の平和構築の問題が動き始めた時に、日本がまったく関与しないという選択肢はない。

国交正常化を見すえ、両国間の懸案の包括的な解決をめざした02年の日朝平壌宣言という原点にもどって考えるべきだ。

今回の南北会談に続き、米朝会談の結果次第では、北東アジアの枠組みや構造が大きく変わる契機となる可能性がある。

北朝鮮に核を放棄させ、国際社会に取り込む作業に、日本も積極的に加わらねばならない。「蚊帳の外」になるかどうかは、日本の外交次第である。
posted by (-@∀@) at 11:21| Comment(0) | 朝日新聞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする