2017年05月05日

[朝日新聞] 憲法70年 9条の理想を使いこなす (2017年05月04日)

戦後70年余、平和国家として歩んできた日本が、大きな岐路に立たされている。

台頭する隣国・中国と、内向きになる同盟国・米国。北朝鮮の核・ミサイルによる軍事的挑発はやまない。

日本は自らをどう守り、アジア太平洋地域の平和と安定のために役割を果たしていくか。

答えに迷うことはない。

憲法9条を堅持し、先の大戦の反省を踏まえた戦後の平和国家の歩みを不変の土台として、国際協調の担い手として生きていくべきだ。

■平和主義を次世代へ

安倍首相はきのう、憲法改正を求める集会にビデオメッセージを寄せ、「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と語った。

首相は改正項目として9条を挙げ、「1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込むという考え方は国民的な議論に値する」と語った。

自衛隊は国民の間で定着し、幅広い支持を得ている。政府解釈で一貫して認められてきた存在を条文に書き込むだけなら、改憲に政治的エネルギーを費やすことにどれほどの意味があるのか。

安倍政権は安全保障関連法のために、憲法解釈を一方的に変え、歴代内閣が違憲としてきた集団的自衛権の行使容認に踏み込んだ。自衛隊を明記することで条文上も行使容認を追認する意図があるのではないか。

9条を改める必要はない。

戦後日本の平和主義を支えてきた9条を、変えることなく次の世代に伝える意義の方がはるかに大きい。

■専守防衛の堅持を

日本防衛のため一定の抑止力は必要だが、それだけで平和と安定が築けるわけではない。

米国が北朝鮮に軍事攻撃を仕掛ければ、反撃を受けるのは日本や韓国であり、ともに壊滅的な被害を受ける可能性がある。日米韓に中国、ロシアを巻き込んだ多国間の対話と、粘り強い外交交渉によって軟着陸をはかるしかない。

そこで地域の協調に力を尽くすことが日本の役割だ。そのためにも、専守防衛を揺るがしてはならない。

自衛隊はあくまで防衛に徹する「盾」となり、強力な打撃力を持つ米軍が「矛」の役割を果たす。この役割分担こそ、9条を生かす政治の知恵だ。

時に単独行動に走ろうとする米国と適切な距離を保ち、協調を促すため、日本が9条を持つ意義は大きい。

中国や韓国との関係を考えるときにも、他国を攻撃することはないという日本の意思が基礎になる。侵略と植民地支配の過去をもつ日本は、その歴史から逃れられない。

一方で、今年は国連平和維持活動(PKO)協力法制定から25年の節目でもある。

PKOを含め海外に派遣された自衛隊は、一発の銃弾も撃っていない。一人も殺さず、一人も殺されていない。

9条が自衛隊の海外での武力行使に歯止めをかけてきたことの効用だ。その結果、中東などで培われた日本の平和ブランドを大事にしたい。

紛争の起きた国の再建を手伝う「平和構築」は憲法前文の精神に沿う。日本も「地球貢献国家」として、自衛隊が参加できるPKO任務の幅を広げたい。朝日新聞は憲法施行60年の社説で、そう主張した。

同時に、忘れてならない原則がある。自衛隊の活動は、あくまで9条の枠内で行われることだ。それを担保するPKO参加5原則を緩めてまで、自衛隊派遣を優先してはならない。

■日本の「骨格」を保つ

PKOは近年、住民保護のために積極的に武力を使う方向に「変質」している。そこに自衛隊を送れば実質的に紛争に関与する恐れが強まる。

PKO以外にも視野を広げれば、災害支援や難民対策、感染症対策など日本にふさわしい非軍事の貢献策は多い。こうした人間の安全保障の観点から、日本ができる支援を着実に実行することが、長い目でみれば日本への信頼を育てる。

安全保障の文脈にとどまらない。戦前の軍国主義の体制ときっぱり決別し、個人の自由と人権が尊重される社会を支えてきたのも、9条だった。

これを改めれば、歴史的にも社会的にも、戦後日本はその「骨格」を失う。戦前の歴史への反省を否定する負のメッセージと国際社会から受け取られかねない。その損失はあまりにも大きい。

軍事に偏らず、米国一辺倒に陥らず、主体的にアジア外交を展開する。国際協調の担い手として、常に冷静な判断を世界に示す。そんなバランスのとれた日本の未来図を描きたい。

9条は日本の資産である。

そこに込められた理想を、現実のなかで十分に使いこなす道こそ、日本の平和と社会の安定を確かなものにする。
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[朝日新聞] 憲法70年 「第2の政治改革」構想を (2017年05月05日)

政治システムとは機械仕掛けの時計のようなものだろう。

優れた全体設計が求められ、繊細なバランスの上で歯車やバネが役割を果たさなければ、針は狂い、故障してしまう。

「安倍1強」の下で、日本の政治システムの歯車が狂いつつあるのではないか。不自然な国有地払い下げに端を発した森友学園の問題を見るにつけ、そう感じざるをえない。

■首相への権力集中

安倍首相は本人も妻昭恵氏も関与していないと繰り返す。政府は事実究明に後ろ向きだ。

一方、政府の監視役であるべき国会は、国権の最高機関としての役割を果たせないでいる。

野党は国政調査権の発動を求めるが、与党の反対で実現しない。財務省資料の国会提出は宙に浮いたままだ。

政府・与党を掌握する首相への権力集中という政治状況が、問題を解明しようとする歯車の動きを止めているのだ。

首相の1強は、1980年代末から進められてきた「政治改革」の帰結ともとれる。

金権政治への国民の怒りを受けた一連の政治改革は、自民党一党支配を元凶と見立て、政権交代可能な政治をめざした。

勝敗をより際立たせて強い政権をつくるため衆院に小選挙区制を導入。政党助成金制度で、政治家個人や派閥より政党に政治資金が集まるようにした。

その後も省庁再編、国家安全保障会議や内閣人事局の設置など、歴代政権がバトンをつなぎながら「政治主導」「首相官邸機能の強化」を追求した。

人事権、公認権、カネ、情報……。権力の源泉が首相に集中する一方で、国会による監視機能は相対的に低下した。

確かに、小選挙区制は政権交代をもたらした。政治とカネの大きな疑惑も減った。

だが、政権交代を繰り返すことで、権力チェックの機能が強まる。そんな好循環は旧民主党政権の挫折によっておぼつかなくなっている。

■抑制と均衡の回復を

政治改革の成果は生かしながらも、行き過ぎた権力の集中がないかを検証し、統治機構のバランスを回復するメンテナンスが必要だ。

立法府と行政府の間に抑制と均衡の緊張関係を取り戻す。そのための「第2の政治改革」と言ってもいい。

例えば森友学園問題で俎上(そじょう)にのぼった国政調査権。ドイツでは行使の権利を議会の少数派に与えている。同様の制度を日本でも導入できないか。

憲法に書き込む方法もあろうが、国会法などの改正で実現することもできる。

「強すぎる首相」の一因である、首相の衆院解散権を抑制すべきだという指摘もある。

衆院憲法審査会では「解散理由を国会で審議するなど解散手続きを法律で定める方法と、憲法を改正して解散の条件を明記する方法がある」という具体的な選択肢も議論された。

政治の歯車が狂うのは権力の集中によってだけではない。衆参の多数派が異なる「ねじれ」現象で国会が停滞し、「決められない政治」と批判を浴びた。再び衆参がねじれた場合に、国会がどのように合意形成をはかるのかという問題にも答えを出しておく必要がある。

■三権の全体構想から

似通った選挙制度と権限をもつ衆院と参院という二院制の役割分担をどう整理するかは、政治改革で積み残された大きなテーマでもある。

衆院のコピーではなく、参院独自の果たすべき役割とはなにか。「再考の府」か。それとも「地方の府」か。

憲法学者の大石眞・京大名誉教授はこう指摘する。

「衆参それぞれの役割をイメージしたうえで、選挙制度や権限はどんな組み合わせがよいのかという統治機構全体を構想する議論を始めるべきだ」

まずは司法を含む三権全体のあり方を点検する議論から始めたうえで、今の不具合は国会の規則や慣例の変更で対応できるのか。国会法、公職選挙法、内閣法など「憲法付属法」の改正が必要なのか。統治機構の基本枠組みを定めた憲法の改正が避けられないのか――。

そうした整理を進めることこそ、あるべき道筋だろう。

自民党からは「参院選の合区解消」「緊急時の国会議員の任期延長」など統治機構の一部をとらえた改憲論も上がる。手を付けやすいテーマでとにかく改憲をという思惑が透ける。

求められるのは、このような改憲ありきの局所的な手直しではないことは明らかだ。

日本国憲法は施行から70年の時を刻んだ。自由や人権、平和主義といった憲法の核心といえる理念を守り、次の世代に引き継いでいくには、健全な政治システムが必須となる。

その針と歯車は狂いなくしっかりと動いているか。主権者である国民一人ひとりが絶えず目を光らせる努力が欠かせない。
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[朝日新聞] 憲法70年 この歴史への自負を失うまい (2017年05月03日)

1947年5月3日、『新しい憲法 明るい生活』と題する小冊子が発行された。政府肝煎りの憲法普及会が作り、2千万部を全国の家庭に配った。

後の首相、芦田均による発刊の言葉が高らかだ。「古い日本は影をひそめて、新しい日本が誕生した」。本文は、新時代を生きる国民に「頭の切りかえ」を求めている。

施行から70年。憲法は国民の間に定着したかに見える。それでは為政者の頭はしっかり切りかわったか。残念ながら、答えは否である。

先月行われた施行記念式典で、安倍首相は70年の歩みへの「静かな誇り」を語った。憲法の「普遍的価値」を心に刻む、とも述べた。

額面通りには受け取れない。首相自身の言葉の数々が、その本音を雄弁に語る。

「今こそ、憲法改正を含め、戦後体制の鎖を断ち切らなければなりません」

あるいはまた、自民党の選挙スローガン「日本を、取り戻す。」について、「これは戦後の歴史から、日本という国を日本国民の手に取り戻す戦いであります」。

静かに誇るどころか、戦後の「新しい日本」を否定するような志向が浮かぶ。一時は沈静化したかに見えた「押しつけ憲法」論が、色濃く影を落とす。

そのような安倍政権の下で、憲法は今、深く傷つけられている。かつてない危機にあると言わざるをえない。

集団的自衛権は9条を変えない限り行使できない――。この長年堅持されてきた憲法解釈を覆した決定に、「立憲主義の破壊」との批判がやまないのは当然だろう。

念入りに葬られたはずの教育勅語。その復権を黙認するかのような最近の動向も同様である。戦前の亡霊が、これだけの歳月をもってしても封じ込められていないことに暗然とする。

安倍政権に欠けているのは、歴代内閣が営々と積み重ねてきた施政に対する謙虚さであり、さらに言えば、憲法そのものへの敬意ではないか。「憲法改正を国民に1回味わってもらう」という「お試し改憲」論に、憲法を粗略に扱う体質が極まっている。

国民主権、人権尊重、平和主義という現憲法の基本原理が役割を果たしたからこそ、日本は平和と繁栄を達成できた。ともかくも自由な社会を築いてきた。その歴史に対する自負を失うべきではない。

現憲法のどこに具体的で差し迫った不具合があるのか。改憲を語るなら、そこから地道に積み上げるのが本筋だ。

目下の憲法の危機の根底には、戦後日本の歩みを否定する思想がある。特異な歴史観には到底同調できないし、それに基づく危険な改憲への道は阻まなければならない。

『新しい憲法 明るい生活』は言う。「政府も、役人も、私たちによってかえることができる」。そして、「これからは政治の責任はすべて私たちみんながおう」とも。

70年前の言葉が、今まさに新鮮に響く。



オピニオン面(12面)にも「憲法70年」の社説を掲載しています。
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[朝日新聞] 憲法70年 先人刻んだ立憲を次代へ (2017年05月03日)

時代劇で江戸の長屋に住む八っつぁん熊さんが万歳三唱をしたら、脚本家は落第である。

あれは日本古来の振る舞いではないと、NHK大河ドラマなどの時代考証を手がける大森洋平さんが著書で書いている。1889年、明治憲法の発布を祝うために大学教授らが作り出した。ちゃぶ台も洗濯板も、明治になって登場した。

動作や品物だけではない。

西欧の思想や文化に出会った当時の知識人は、その内容を人々に伝えようと苦心し、新しく単語をつくったり、旧来の言葉に意味を加えたりした。いまでは、それらなくして世の中は成り立たないと言ってもいい。

■消えた「個人」

個人、もその賜物(たまもの)の一つだ。

「すべて国民は、個人として尊重される」。日本国憲法第13条は、そう定めている。

根底に流れるのは、憲法は一人ひとりの人権を守るために国家権力を縛るものである、という近代立憲主義の考えだ。

英文では〈as individuals(個人として)〉となっている。翻訳家の柴田元幸さんはここに、固有の権利を持つ人間というニュアンスを感じたという。もし〈as humans(人間として)〉だったら「単に動物ではないと言っているだけに聞こえます」。

ひとり、一身ノ身持、独一個人(どくいつこじん)と〈individual〉の訳語に試行錯誤した福沢諭吉らがこの話を聞いたら、ひざを打ったに違いない。『文明論之概略』で福沢は、日本の歴史には「独一個人の気象」がないと嘆いた。

個人の尊厳をふまえ、幸福を追い求める権利をうたいあげた13条の文言には、洋の東西を超えた先人たちの思いと労苦が息づいている。

ところが自民党は、5年前に公表した憲法改正草案で「個人」を「人」にしてしまった。

安倍首相は昨年、言い換えに「さしたる意味はない」と国会で答弁した。しかし草案作りに携わった礒崎陽輔参院議員は、自身のホームページで、13条は「個人主義を助長してきた嫌いがある」と書いている。

■和の精神と同調圧力

「個人という異様な思想」「個人という思想が家族観を破壊した」。首相を強く支持する一部の保守層から聞こえてくるのは、こんな声だ。

一方で、草案の前文には「和を尊び」という一節が加えられた。「和の精神は、聖徳太子以来の我が国の徳性である」と草案のQ&Aは説明する。

角突き合わさず、みんな仲良く。うまくことを進めるうえで「和」はたしかに役に立つ。

しかし、何が歴史や文化、伝統に根ざした「我が国」らしさなのかは、万歳三唱やちゃぶ台の例を持ち出すまでもなく、それぞれの人の立場や時間の幅の取り方で変わる。

国内に争乱の記録はいくらもあるし、かつて琉球王国として別の歴史を歩んだ沖縄は、ここで一顧だにされていない。

一見もっともな価値を掲げ、それを都合よく解釈し、社会の多様な姿や動きを封じてしまう危うさは、道徳の教科書でパン屋が和菓子屋に変わった一件を思いおこせば十分だ。検定意見の根拠は「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつ」と定めた学習指導要領だった。

ただでさえ同調圧力の強いこの社会で、和の精神は、するりと「強制と排除の論理」に入れ替わりうる。

■近代的憲法観の転覆

「個人」を削り、「和」の尊重を書きこむ。そこに表れているのは、改憲草案に流れる憲法観――憲法は歴史や伝統などの国柄を織り込むべきもので、国家権力を縛るものという考えはもう古い――である。

だから、人は生まれながらにして権利を持つという天賦人権説を西欧由来のものとして排除し、憲法を、国家と国民がともに守るべき共通ルールという位置づけに変えようとする。

これは憲法観の転覆にほかならない。経験知を尊重する保守の立場とは相いれない、急進・破壊の考えと言っていい。

明治憲法を起草した伊藤博文は、憲法を創設する精神について、第一に「君権(天皇の権限)を制限」し、第二に「臣民の権利を保護する」ことにあると力説した。むろん、その権利は一定の範囲内でしか認められないなどの限界はあった。

だが、時代の制約の中に身を置きながら、立憲の何たるかを考えた伊藤の目に、今の政権担当者の憲法観はどう映るか。

明治になって生まれたり意味が定着したりした言葉は、「個人」だけではない。「権利」も「自由」もそうだった。

70年前の日本国憲法の施行で改めて命が吹き込まれたこれらの概念と、立憲主義の思想をより豊かなものにして、次の世代に受け渡す。いまを生きる私たちが背負う重大な使命である。



「憲法」を考える社説をシリーズで随時掲載します。
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[産経新聞] 【主張】憲法と緊急事態 議論の矮小化にあきれる (2017年05月05日)

東日本大震災から日本人は、「想定外」の事態にもっと備えておくべきだと学んだ。それを国会議員は忘れたのか。

憲法に緊急事態条項を設ける問題が、衆院憲法審査会で取り上げられている。そこで聞こえてくるのは「大規模災害時の国会議員の任期延長」ばかりである。議論の矮小(わいしょう)化というしかない状況である。

自然災害や有事、テロが招く大規模災害から国民を守り抜くことは国の最も重要な責務だ。最大限の力を発揮できるよう、政府に一時的に権限を集める規定を憲法に置く。それこそが緊急事態条項の核心となるべきだ。

憲法45条によれば衆院議員の任期は4年で、解散時に議員はその地位を失うと定めている。任期満了直前や総選挙時に大規模災害が起きれば、投開票が実施できず議員が不在となる可能性がある。

しかし憲法は54条で、解散時でも「国に緊急の必要」があれば、参院が国会機能を代行する「緊急集会」を規定している。

任期延長を論じるのはよいが、緊急事態条項のすべてのように考えるのは誤りである。

国民を守る措置を直接、実施するのは行政府である。その機能を果たすために何が必要かを考えることが先決ではないのか。

東日本大震災を上回る被害が予想される、南海トラフ巨大地震や首都直下型地震への備えも、すでに現実の課題になっている。

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発生時に国会審議を待っていたのでは、国民の生命や財産を守れない可能性がある。災害対策基本法は自治体の存続を前提としているが、広域で多数の自治体が壊滅し、機能を喪失するケースは、憲法の次元で考えておくべきだ。

緊急事態を宣言し、一時的に首相や内閣に権限を集め、法律に代わる緊急政令を出し、財政支出を行う仕組みが必要だ。

権限の集中は一定期間を経て必ず解除しなければならない。その規定も重要である。

国民の権利と自由を最大限尊重するのは当たり前だ。しかし、緊急事態にその権利を同様に扱った場合、国民の被害が増し、事態の解決が遅れることはありえる。

「国際人権規約」は、緊急時の一時的な自由・権利の制限を認めている。これは憲法で定めておくべき重大事である。自分たちの任期延長の話にのめり込んでいる姿には、隔靴掻痒(かっかそうよう)の感がある。
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[東京新聞] こどもの日に考える ボイメンのつくりかた (2017年05月05日)

ウソがホントを蹴散らすような、おかしな時代。「大丈夫、信じていいよ」と断言できる大人でいたい。こどもの日。健やかな未来を願う、おとなの日。

「大人を信じていいの?」−。

千葉女児殺害・遺棄事件を報じる新聞の見出しが、わが身に突き刺さるようでした。

識者は語る。「人を信じることをやめないで」「信頼できる大人は常に近くにいます」

そうに違いありません。でも、どこに。

学生時代にはやった歌を思い出しました。

♪なんて悲しい時代に生まれてきたんだろう/信じれるものが何ひとつないけれど/せめてお前だけは…。

永井龍雲さんの「悲しい時代に」。悲しい時代は、未来に続いていくのでしょうか。

心が折れそうになる中で、ふと目に付いたのが、一冊の本の表紙の写真。タイトルは「夢は叶(かな)えるもの!−ボイメンを創った男−」です。イケメン男子に囲まれて、映画スターのジャッキー・チェンを少しごつくしたようなオジサンが、屈託なく笑っています。まるで本物の子どものように。

ボイメンを見いだし、育てたプロデューサーの谷口誠治さん(57)。その笑顔に、なぜか会いたくなりました。


◆ともに見る夢がある
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ボイメン。「BOYS AND MEN(ボーイズ・アンド・メン)」は、東海地方出身、在住の男子ばかり十人からなるアイドルユニット、つまりグループです。

七年前に名古屋で結成。昨年暮れに発売されたアルバムが、初登場でオリコン・チャート一位を獲得し、レコード大賞新人賞を受賞した。年明けには、日本武道館の単独ライブを成功させました。

もはや押しも押されもしない全国区。ジャニーズ系と人気を争うようにさえなった。それでも彼らも谷口さんも、東京に拠点を移すつもりはありません。

「名古屋から全国、そして世界へ」。それが彼らと谷口さんが、ともに見る夢だから。「ありえへん」と言われ続けた夢だから。

単刀直入に、聞いてみました。

「どうすれば、信頼される大人になれますか」

谷口さんは少し困ったような顔をしながら、丁寧に答えてくれました。

「“一緒に夢をかなえようぜ”。そんな思いを強く持つ大人がいることを、まず見せなあかんと思うています。あとさきなしにゴールに向かって走る姿勢を、ぼくが最初に示す。ビジネスなんかあと回し。思いをきちんと伝えられれば、信頼のきずなも見えてくる。不言実行あるのみです」

若い世代に大人の夢を押しつけない。夢をかなえる手段にしない。今はやりの「寄り添う」ではなく、同じ地平にともに立ち、ともに大地を踏み締める。一歩も二歩も先を行く、大人としての気概を見せる。

昨年秋、かつて、プロのローラースケーターだった谷口さんは、ボイメンの主演映画のヒット祈願と武道館ライブのPRのため、東京−名古屋三百六十キロを、インラインスケートで走破した。

「夢はかなう。かなわないのはすべて自分に原因がある。そう思うと力がわいてくるんです」と、谷口さんは笑います。

大阪出身の谷口さんは、こんなことも言っています。

「ぼくの原点は、寛美さん」

藤山寛美。松竹新喜劇を率いて関西から東京へ攻め上り、日本中を笑いに包んだ不世出の喜劇王。

笑わせて、ほろりとさせて、幕切れはハッピーエンドの人間模様。「あんさんも、おきばりやす」と、元気をくれた。

小学二年の谷口少年も「こんなおもろい大人になりたいなあ」と憧れた。


◆おもしろい大人になる
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そうだ。信頼できる大人の不在を嘆くくらいなら、自分自身がそんな大人になればいい。ボイメンを創る人にはなれずとも、次の世代に伝えていきたいものが、誰にでも一つや二つはあるはずです。

“昭和の不言実行”が、“平成の子どもたち”にも、おしなべて通用するかどうかはさて置いて、とりあえず“私自身”の思いをのせて、こいのぼりを揚げてみよう。五月の風に泳いでみよう。
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[産経新聞] 【主張】こどもの日 大人が自らを省みる日に (2017年05月05日)

昭和26年5月5日制定の児童憲章は「すべての児童は、よい遊び場と文化財を用意され、悪い環境からまもられる」などとうたっている。

子供の成育環境を整えてやるのは大人の責任だ。現実には、大人が子供の居場所を狭めてしまうような例が少なくないのではないか。

路地から子供の笑ったり泣いたりする声が消えて久しい。集団を避け、個別に行動する子供が増えているのだろう。安全な遊び場の確保が難しいことやテレビゲームの普及などが原因だとされる一方で、最近では、公園や空き地の近隣から「子供の声がうるさい」といった苦情が寄せられることも影響しているとの見方がある。

地域それぞれの事情があるにせよ、昔に比べて子供に対する寛容さが社会全般で失われつつあるように感じられてならない。

遊びは子供の人間形成に欠かせぬ大切なものである。とりわけ異年齢の子も交えた集団での遊びを通じて子供は、ルールを尊重する態度や協調心などを自然に身に付けていく。心身の健全な発達のためにも、子供を「孤立化」させない居場所をつくってやりたい。

子供が地域に守られ、地域の中で育てられた時代は、親同士の近所づきあいも盛んだったが、今は親自身が地域に溶け込もうとしない傾向が強まってきている。

子供の孤立化が進み、子供の声が騒音と受け止められてしまう背景には、このような大人社会での人間関係の希薄化があるのかもしれず、「子供の問題」はとりもなおさず「大人の問題」であると認識し、大人がまず、自らを省みる必要があるだろう。

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「いじめ」についても同様だ。原発事故で避難した中学生が、避難先の小学校で黴菌(ばいきん)扱いされ、金銭を要求されたほか、「賠償金あるだろ」と言われたことなどを記した手記が最近、全文公開された。この事例に限らず避難した子供へのいじめでは往々にして、被災者の痛みに寄り添えない大人の意識と行動が透けて見える。

大人の偏見や無理解によって避難先での居場所ばかりか、安住できる心の居場所までもが奪われたのだとしたら、いじめを受けた子供があまりにもかわいそうだ。

「こどもの日」は、子供を悪い環境から守ってやれる大人でありたいと、大人が自らの心に銘記する日としたいものである。
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[日経新聞] 生産性改革(上) (2017年05月05日)

人口が減る中で経済を成長させるには一人ひとりが生み出す経済的な価値、すなわち「生産性」の向上が欠かせない。しかし2000年に世界2位だった日本人1人当たり国内総生産(GDP)は近年、20位台が続いている。主要国との差の9割がサービス業の生産性の低さによるものとされる。

ロボット技術で効率化

サービス業は豊富な労働力を前提としてきたビジネスモデルを転換すべき時だ。かつて生産性向上は人員整理とセットで考えられがちだったが、人手不足の今なら労働組合の協力も得やすい。

生産性を上げるといっても、ただ従業員を今以上に忙しく働かせるだけではサービスの低下を招きかねない。無駄な仕事を減らし、利益や付加価値を生む仕事に専念させることが大事になる。

方法の一つは、製造業が経験してきたロボット技術などによる効率化だ。エイチ・アイ・エスは長崎県のホテルで受付や清掃にロボットを導入、30人の従業員を7人に減らした。浮いた人員は今後、国内外で多店舗展開にあたる。

外食のリンガーハットはロボット調理器を導入、少人数で店を運営できるようにし出店拡大に生かす。すかいらーくは一部の店にセルフレジを、ホテルオークラは外貨の自動両替機をそれぞれ設置した。セブン&アイ・ホールディングスやイオンも食品加工機などの導入で省力化を進める。

ただし、効率化だけが生産性の向上の方法ではない。これから挑むべきなのは、均質なサービスをいつでも安く提供するのではなく、質の高いサービスを提供し、それに見合った対価を得ることで、従業員1人あたりの利益や賃金を高める道ではないか。

そのためにはまず、成功体験にとらわれず、利益を生まないサービスを見極め捨てる決断が要る。外食のロイヤルホストは24時間営業をやめ、昼・夕食の時間に重点的に人を配置して利益率を高めた。佐川急便も運賃の安いアマゾンジャパン(東京・目黒)との契約を打ち切り利益率を上げた。

IT(情報技術)などで、個人が持つ顧客情報を共有することも付加価値の高いサービスにつながる。機器の低価格化で小さな企業でも導入しやすいのも利点だ。

老舗旅館の陣屋(神奈川県秦野市)はタブレット端末で女将が蓄積した顧客情報を見られるようにし、きめ細かい接客に生かす。会計なども一元管理するソフトを独自開発した。ネッツトヨタ南国(高知市)も顧客情報の共有などで、値引きに頼らずにトヨタ車販売店で満足度上位となった。

あえて人手や手間をかけ、高額サービスで新市場を開拓する手法もある。低価格コーヒー店で伸びたドトール・日レスホールディングスは新事業の高級喫茶「星乃珈琲店」が高齢者などに支持され、好決算を支える。両備ホールディングスは個室制の高級高速バスが女性客らで満席だ。

ITと高級路線を組み合わせた例も多い。旅工房は要望に応じ宿などを手配する注文設計型の旅行をネットで販売、先月上場した。

人は高度な仕事に専念

ハッピー(京都府宇治市)は高級衣料の洗浄や補修を全国からネットで受ける。いずれも販売にITを生かし、人は付加価値を生む企画や技術提供に専念した例だ。

今後はITやロボットが人の仕事を肩代わりしていく。従業員には何らかの専門家としての能力を磨き、高度なサービスの担い手を目指してもらうべきだ。付加価値の低い仕事は安く外部に委託したり、取りやめたり、別料金を徴収したりすることを考えたい。

スーパーのサミットや成城石井(横浜市)は案内役の店員を増やし、付加価値の高い商品の売り上げを伸ばす。金融、教育、保育、医療などの分野も省くべき業務は省き、IT化や機械化も進め、人は高度な仕事に専念させたい。

政府や自治体は規制緩和で企業の生産性向上を応援したい。東京の隅田川沿いに先月、古いオフィスビルを改装したホテルが開業し外国人でにぎわう。東京都が河川敷の上部の使用を認めたため、新設したテラスでパーティーを開ける点が生きた。

公道での自動運転も含め、土地利用などの規制緩和がサービスの効率化や商業施設の付加価値向上につながる例は多い。安全確保に配慮しつつ、協力を進めたい。
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[毎日新聞] 首相の「9条改正」発言 重要な提起ではあるが (2017年05月05日)

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安倍晋三首相が憲法改正について「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と明言した。さらに戦争放棄を定めた9条に自衛隊の存在を明記するなどの案を示した。

施行時期の目標を明らかにし、具体的な改憲項目を明示した踏み込んだ発言だ。改憲実現に向けた意思を改めて明確にし、国会や国民の活発な議論を促す狙いなのだろう。

自衛隊の憲法明記を支持する意見は根強くある。公明党も「加憲」論議の対象としている。改憲派も護憲派も9条を憲法論議の要と捉えるなか首相の提起はそれなりに重要だ。

しかし、議論のテーブルに載せるには、あまりに多くの問題がある。

まず、首相が施行時期を東京五輪開催年に重ねたことだ。両者は何の関係もない。自民党総裁の3選を見据え、任期中に改憲を実現したい思いからの後付けの理屈に聞こえる。

国会軽視の姿勢も問題だ。衆院の憲法審査会は参政権や国と地方などの課題を巡り有識者を呼んで議論している。自民党は野党第1党の民進党との調整を重視している。

改憲案を審議する権限は憲法審査会にしかない。その頭越しで公明党などの改憲容認勢力さえ固めればいいという話ではないだろう。

首相は9条改正について1項の戦争放棄と2項の戦力不保持を堅持しつつ「自衛隊を明文で書き込む」ことを提起した。2項を抜本改正し国防軍などを創設するという従来の考え方からは退いたように見える。

自衛隊は政府解釈で合憲とされ、災害派遣や国連平和維持活動(PKO)などを通じて国民に定着し、高く評価されている。

にもかかわらず、首相は一部の憲法学者らの「自衛隊違憲論」を引き合いに9条改正を主張した。これは説得力に欠けるのではないか。

一方、今の自衛隊は「自衛のための必要最小限度の実力」を超え、違憲となる「戦力」に相当するという議論もある。明記される自衛隊の位置付けが戦力不保持の規定とどう整理されるか、はっきりしない。

首相が言う「新しい憲法」という表現からは、米国による「押しつけ憲法」から脱却したいことへのこだわりもにじむ。

9条は国のかたちを定める核心部分だ。扱いは丁寧であるべきだ。
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[毎日新聞] スマホ時代の睡眠不足 夜型では子供は育たない (2017年05月05日)

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子供はもっと眠る時間が必要ではないか。

日本の子供は睡眠が足りていない。文部科学省が2015年に公表したデータによると、深夜0時以降に寝ている中学生は2割、高校生では半数近くで、午後11時以降に寝る小学生も15%に上っている。

学年が上がるほど睡眠不足を感じる子供は増え、高校生では3人に1人だ。さらに寝る時間が遅い子ほど自己肯定感が低く、イライラする傾向もある。気持ちがざらつくのだ。

米国の国立睡眠財団によると、小学生の望ましい睡眠時間は9?11時間、中高生でも8?10時間という。

個人差はあろうが、早い時間に寝ないと得られない睡眠時間だ。

国際機関が先進諸国の15?64歳を調べたところ、欧米諸国は平均で8?8時間半以上寝ているが、日本は7時間43分。大人の夜型生活に子供が引きずられている面もあろう。

文科省データで気になるのは、スマートフォンなどとの接触時間が長い子ほど、寝る時間が遅いことだ。1日に4時間以上接する中学生の半数が、午前0時以降の就寝だ。

寝る直前まで接する小学生の4割、中高生は半数以上が「朝ふとんから出るのがつらい」と答えている。

スマホなどの画面から出る青色光を夜に浴びると体内時計が狂い、睡眠の質も悪化するといわれている。

ここまでスマホが行き渡った社会で、完全に遮断することは無理だろう。「寝る前にスマホは持たない」など、できる工夫をすべきだ。

睡眠学者で国立青少年教育振興機構の鈴木みゆき理事長は「脳と体をメンテナンスするのが睡眠。幼児期から高校時代は脳が育つ時で、眠りは極めて重要」と指摘する。

睡眠が不足すると、認知能力や記憶力、集中力が落ちる。さらに気持ちをコントロールする力も低下するという。学習への影響とともに、荒れやいじめの一因とも考えられる。

データでは、学校のある日とない日で、起きる時間が2時間以上ずれることがよくある子ほど「午前の授業が眠くてしかたがない」と答える割合も高かった。

きょうは「こどもの日」。夜にスマホから離れるなど、できることから眠りを改善したい。やはり「寝る子は育つ」のだ。
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[読売新聞] こどもの日 勇気を持って夢に挑戦しよう (2017年05月05日)

グローバル化が進み、人工知能(AI)の発達も目覚ましい。世界は大きく変化している。国内では人口減と超高齢化が加速する。

先行き不透明な時代に光をもたらしてくれるのが、無限の可能性を秘めた子供たちである。勇気を持って夢に挑戦し、明るい未来を切り開いてほしい。

大人になった時、どんな世の中であってほしいか。そのために、どうすべきか――。読売KODOMO新聞など全国の小学生向け新聞の読者が集って議論し、思いを発信する初の「こども新聞サミット」が先月、東京で開かれた。

未来を担う世代に、今の社会の課題に目を向けて、これからの日本の在り方を考えてもらうのが狙いだ。環境、科学技術など6分科会のテーマは、子供たち自身からアイデアを募集して決めた。

事前に図書館やインターネットで調べ、専門家らに話を聞きに行く。新たな疑問が湧き、どんどん興味が広がる。その成果を持ち寄り、多様な視点を取り入れて意見をまとめていく。機会を得れば、子供は思わぬ力を発揮する。

環境の分科会では、自分が住む地域での地球温暖化の影響を報告し合った。「都心で集中豪雨が増えた」「コメ作りで暑さに強い品種への転換が進んでいる」。身近な問題だと実感し、世界全体で対策を講じてほしいと訴えた。

未来は自分たちの行動で変えられる。社会に目を向け、より良い明日を選び取っていきたい。子供たちに芽生えたこうした意欲を、大きく伸ばしたい。

変化の激しい時代、従来と同じ発想では通用しない。自ら課題を発見し、周囲と協力して解決策を探求できる人材が求められる。

逆境にあってもへこたれず、挑戦する力の根源となるのが、自分を信じる気持ちだろう。

日本の青少年は、諸外国に比べ、自己肯定感や社会に関わろうとする意欲が低いと指摘される。国立青少年教育振興機構の報告では、高校生の学習態度も、問題意識を持って調べたり、学んだことを応用したりする姿勢に乏しい。

2020年度から実施される次期学習指導要領は、討論や発表によるアクティブ・ラーニングを重視している。学校にとどまらず、多様な場で主体的・能動的に行動する力を育むことが大切だ。

貧困、虐待、いじめなど、子供を取り巻く状況はなお厳しい。すべての子供が笑顔で輝けるようにする。こどもの日に、大人は改めてその責任をかみしめたい。
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[読売新聞] ふるさと納税 善意の寄付が制度の出発点だ (2017年05月05日)

善意の寄付で地方の財政を助け、活性化を後押しする。制度の本来の趣旨を思い起こしたい。

ふるさと納税制度で、自治体が寄付者に贈る返礼品競争が過熱している。

宝飾品や貴金属といった高額品もあり、総務省は仕入れ価格を寄付額の3割以下に抑えるよう、全国の自治体に要請した。改善を促すのは今回で3度目である。

返礼のコストは平均4割を占める。その割合が増えれば、政策に使える財源は目減りする。過剰な返礼に歯止めをかけようとする総務省の対応は理解できる。

ふるさと納税は、応援したい自治体に寄付をすれば、原則2000円を差し引いた額だけ住民税や所得税が軽くなる仕組みだ。

2015年度の寄付総額は1653億円で、創設された08年度の20倍に増えた。上位20市町に445億円が集中している。

返礼品は元々、各自治体が感謝の思いを込め、自主的に地元産品などを贈っていた。寄付の増加を当て込み、他との差別化を図る中で、商品券や電子マネーといった換金性の高い品も登場した。

申し込みや決済は、専門サイトで簡単にできる。家電製品や高級食材などが人気を集め、さながらネット通販の様相を呈する。

こうしたことで一時的には、財源が潤うだろう。

自治体には、返礼品競争ではなく、地域振興や課題解決への意思を訴えることが求められよう。

返礼品を通し、魅力をアピールする。寄付者とのつながりを深める。そんな取り組みが大切だ。

15年度に最も多額の寄付を集めた宮崎県都城市は、牛肉と焼酎という地元産品のPRの手段だと位置づける。調達先の地元企業と一緒に東京で交流会も開いた。地域経済の活性化に加え、職員の意識改革にも結びついたという。

財政破綻からの再生に取り組む北海道夕張市は、高校の存続など具体的な施策を示し、支援を呼び掛ける。地元で開催する映画祭の入場証も返礼品に使った。

寄付する人たちの意識の高まりにも期待したい。16年度、地震や台風などで被災した20自治体への寄付額は約90億円に上った。熊本市には返礼品なしでも前年度の40倍超の20億円以上が集まり、熊本県には51億円が寄せられた。

寄付に添えて、「一日も早い復興を」といったメッセージを受け取った自治体もあるという。

金品のやり取りだけにとどまらない、寄付文化の醸成につなげることが望ましい。
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