2017年05月03日

[東京新聞] 憲法70年に考える 9条の持つリアリズム (2017年05月03日)

日本国憲法が施行されて七十年。記念すべき年ですが、政権は憲法改正を公言しています。真の狙いは九条で、戦争をする国にすることかもしれません。

七十年前の一九四七年五月三日、東京新聞(現在の中日新聞東京本社)に憲法担当大臣だった金森徳次郎は書いています。

<今後の政治は天から降って来る政治ではなく国民が自分の考えで組(み)立ててゆく政治である。国民が愚かであれば愚かな政治ができ、わがままならわがままな政治ができるのであって、国民はいわば種まきをする立場にあるのであるから、悪い種をまいて収穫のときに驚くようなことがあってはならない>


◆「平和の一路に進む」
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金森は名古屋市出身で、旧制愛知一中(現旭丘高)、東京帝大法卒。大蔵省を経て法制局長官になっています。戦後、貴族院議員になり、第一次吉田茂内閣で国務大臣をつとめました。帝国議会ではこんな答弁もしています。憲法九条についてです。

<名実ともに平和の一路に進む態度を示しましたことは、画期的な日本の努力であると思う(中略)衆に先んじて一大勇気を奮って模範を示す趣旨である>

九条一項の戦争放棄は二八年のパリ不戦条約の眼目でした。だから、九条の驚きは、むしろ二項で定めた戦力を持たないことと交戦権の否認です。前述の金森の答弁はこれを「画期的」だと述べているのです。

日本国憲法の第一章の「天皇」に次いで第二章が「戦争の放棄」ですから、この憲法の中核のアイデンティティーであることが外形的にもうかがわれます。多くの条文を九条が根底から支えているとも言われています。

しかし、新憲法に対しては、当時から不満の声が一部にありました。とくに旧体制の中枢部にいた人たちからです。


◆法の枠が崩れていく
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天皇に政治的な権力がないことを嘆いていたのです。だから「山吹憲法」とか「避雷針憲法」とか軽蔑的な呼び方をしました。山吹とは室町時代の武将・太田道灌の「実の一つだになきぞかなしき」の故事になぞらえています。避雷針は雷が天皇に落ちないように避ける手段だと読んだのです。

もちろん「押しつけ憲法」という声もいまだにあります。でも、新憲法案が七十年前、帝国議会の衆議院でも貴族院でも圧倒的な大多数で可決されていることを忘れてはなりません。衆議院では賛成四百二十一票、反対八票、これが議会での現実だったのです。

九条も悲惨な戦争を体験した国民には希望でした。戦争はもうこりごり、うんざりだったのです。かつて自民党の大物議員は「戦争を知る世代が中心である限り日本は安全だ。戦争を知らない世代が中核になったときは怖い」と言っています。今がそのときではないでしょうか。

集団的自衛権の行使容認を閣議で決めたときは、憲法学者らから法学的なクーデターだという声が上がりました。九条の枠から逸脱しているからです。安全保障法制もつくりましたが、これで専守防衛の枠組みも崩れました。でも、改憲派がもくろむ九条を変えて、戦争をする国にすることだけは阻止せねばなりません。

何しろ今年は日中戦争から八十年の年にもあたります。勃発時には参謀本部内では戦争の不拡大を主張する意見もありましたが、主戦論にのみ込まれ、それから八年もの泥沼の戦争に陥りました。相手国は百年たっても忘れない恨みであることでしょう。

それなのに一部は反省どころか、ますます中国と北朝鮮の脅威論をあおり立てます。同時に日米同盟がより強調され、抑止力増強がはやし立てられます。抑止力を持ち出せば、果てしない軍拡路線に向かうことになるでしょう。

実は九条が戦後ずっと軍拡路線を防いでいたことは間違いありません。それも崩せば国民生活が犠牲になることでしょう。

戦後、首相にもなったジャーナリストの石橋湛山には、こんな予言があります。


◆軍拡なら国を滅ぼす
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<わが国の独立と安全を守るために、軍備の拡張という国力を消耗するような考えでいったら、国防を全うすることができないばかりでなく、国を滅ぼす>

これが九条のリアリズムです。「そういう政治家には政治を託せない」と湛山は断言します。九条の根本にあるのは国際協調主義です。不朽の原理です。

国民は種まきをします。だから「悪い種をまいて収穫のときに驚くようなことがあってはならない」−。金森憲法大臣の金言の一つです。愚かな政治を招かないよう憲法七十年の今、再び九条の価値を確かめたいものです。
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[産経新聞] 【主張】北朝鮮をめぐる情勢は、日本にとって戦後最大の危機となりつつある 日本国民を守る視点を欠く憲法は一日も早く正そう  (2017年05月03日)

北朝鮮をめぐる情勢は、日本にとって戦後最大の危機となりつつある。そのさなかに、現憲法は施行70年を迎えた。

核・弾道ミサイル戦力の強化に突き進む北朝鮮の脅威を前にして、明白になったことがある。それは、憲法9条と前文が、日本の平和を保つ上で役立たないという現実である。

憲法改正の「一丁目一番地」は9条を改め、日本が世界の他の民主主義国と同様に、国民を守る「軍」を整えることである。同時に、他者を信頼、依存して自国の防衛という責務を回避する前文も見直す必要がある。

≪首相は核心に着手せよ≫

さもなければ、厳しさを増す安全保障環境の下、自衛隊と日米同盟に基づく米軍の抑止力を維持、充実させることはできない。

安倍晋三首相は1日の「新憲法制定議員同盟」の大会に出席し、「理想の憲法の姿を自信を持って国民に示すとき」だと語った。

首相は「国防軍」保持の憲法改正草案を有する自民党の総裁でもある。国会の憲法審査会への出席を含め、9条や前文を正す必要性を積極的に説いてほしい。

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9条は戦力の保持や交戦権を認めていない。前文は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」して国民の「安全と生存を保持しようと決意した」と宣言する。

護憲派は「9条こそが平和と独立を守ってきた」という。ならば、その考え方に立つ政党や政治家、有識者らは北朝鮮の独裁者に説いたらよい。「核とミサイルを放棄して、9条を採用せよ」ということをである。

北朝鮮は対日核攻撃の恫喝(どうかつ)を繰り返している。危険な国の指導者に9条の効能を説いても無意味だ。実はそれが分かっているから、できないのではないか。

米軍普天間飛行場の辺野古移設をめぐっては、反対派の抗議活動が今も続いている。だが、日本全体を見渡せばどうか。9条をよりどころにし、自衛隊や米軍の行動に反対する「平和運動」はごく小規模になってきた。

反戦反米団体の「ベトナムに平和を!市民連合(ベ平連)」などが活発だったベトナム戦争の頃とは、隔世の感がある。

9条や前文は、極端な「戦後平和主義」をもたらしてきた。安全保障環境の悪化に伴い、これでは日本の平和と安全を保つことはできないことを、国民は実感しだしている。

だからこそ、安保関連法制をめぐる論戦の後も、安倍政権は強い基盤を維持している。

トランプ米政権は軍事力の行使を含む「全ての選択肢」を持つと宣言した。そこには、軍事力を外交圧力の支えとする、国際政治の冷厳な現実が反映されている。

海上自衛隊のヘリ空母型護衛艦「いずも」が米補給艦を守る任務に就いた。強固な日米同盟の姿を示し、北朝鮮に核戦力の放棄を促す一環といえる。

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この「米艦防護」は、昨年3月に施行された安保関連法で活動の根拠がつくられた。在韓邦人を退避させる問題も、同法で初めて集団的自衛権を用いて、米艦船と連携できるようになった。

≪法制では足りない≫

民主党(現民進党)や共産党、一部の市民団体は、現憲法は集団的自衛権を認めていないとして安保関連法制定に強く反対した。政府がそれに屈していれば日本は今頃、立ち往生していただろう。

9条や前文は、日本が現実的な観点から安全保障を議論することを妨げてきた。それは、国民を守る努力の足を引っ張ってきたのと同じ意味だ。

加えて強調しておきたいのは、現憲法の枠内の安保関連法だけでは、国民の安全を十分に確保できないという点である。

北朝鮮国内に捕らわれている日本人拉致被害者について、仮に居場所が分かっても、憲法が「海外での武力行使」を禁ずるため自衛隊は救出作戦をとれない。

憲法に由来する「専守防衛」の重視ではもはや日本を守れない。わずか10分たらずで北朝鮮から弾道ミサイルが飛来する時代になった今でも、限定的な敵基地攻撃能力さえ保有せずにいる。

日本学術会議にとって、自衛隊の装備充実など眼中になく、軍事科学研究を拒む声明を出した。北朝鮮危機を眼前にして、この状況である。国民を守る視点を欠く憲法は一日も早く正すべきだ。
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[毎日新聞] 施行から70年の日本国憲法 前を向いて理念を生かす (2017年05月03日)

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全20巻に及ぶ昭和万葉集は、戦前から戦後への激動期を、人びとがどんな感覚でくぐり抜けてきたかを伝える貴重な記録集だ。

1947年5月3日に施行された新憲法はこう詠まれている。

<やけあとのつちもめぶきてあをみたりほこなき国をはるふかみつつ>(金田一京助)

「ほこなき国」とは「武器を持たない国」を指す。焦土に残った木々の緑が深まる中で平和憲法が誕生した情景を歌ったのだろう。

それから70年。日本国憲法はきょう古希を迎えた。


民主主義の裾野広げる
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現行憲法の源流は、敗戦直前に日本が受諾したポツダム宣言にある。

「基本的人権の尊重」「平和的傾向の責任ある政府の樹立」などの要求がそれだ。明治憲法は抜本的な改革が避けられなくなっていた。

日本政府は独自に改憲試案を作成したものの、旧憲法の修正にとどまっていた。このため、連合国軍総司令部(GHQ)民政局のスタッフ25人が原案を書き、実行を迫った。

このように現行憲法がGHQという圧倒的権力の下で制定されたことは疑いようがない。

それでも私たちは、戦後日本の建設にこの憲法が果たしてきた役割を高く評価すべきだと考える。

理由の第一は、民主主義の裾野を格段に広げたことだ。

国家を支配する最高の力、すなわち主権が、天皇から国民に移った。憲法による最大の変化だ。

言論の自由や生存権は、永久に侵せない基本的人権として保障された。法の下の平等原則によって男女同権が社会規範になった。憲法施行に先立ち、46年4月の衆院選からは婦人参政権が実現している。

第二は、廃虚から経済を復興させる礎になったことである。

民主化政策に伴う国民所得の平均化は国内の市場規模を拡大させた。55年時点で8・6兆円に過ぎなかった名目国内総生産は、72年に早くも10倍以上に膨張している。国民生活は明らかに豊かになった。

さらに特筆すべきは、平和国家としての自己像を定着させたことだ。

時々の国際情勢に応じて日本の安全保障政策はさまざまな圧力にさらされたが、憲法9条は一線を越えないよう引き戻す力になってきた。


混じり合わない水と油
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防衛力の整備を最小限に抑え、国家資源を経済に優先投入する路線は、憲法制定時の首相・吉田茂によって敷かれた。

国際政治学者の高坂正尭(こうさかまさたか)は「完全非武装論と憲法改正論の両方からの攻撃に耐え、論理的にはあいまいな立場を断固として貫いた」と吉田の現実主義を肯定的に評している。

この憲法は誕生してから一度も改正されていない。世界の近代憲法の中で極めて珍しいことだ。

しかし、そのことは憲法をめぐる政治状況が健全であることを意味しているわけではない。

まず、基本的な憲法観についての深い断絶がある。

自民党は、自主憲法の制定を主眼に結成された。その思想の根底には、意に沿わぬ憲法を無理に保有させられたという屈辱感がある。

そして現在、この「押しつけ憲法」論を最も濃厚に引き継いでいるのが、安倍晋三首相だ。

他方で復古的な保守への反作用として、憲法には一切手を触れさせまいとする原理主義的な護憲勢力があった。戦前の軍国主義に対する嫌悪感が出発点になっている。

この両者は永遠に混じり合わない水と油のように反目し、憲法に対する冷静な議論を妨げてきた。

憲法を全否定する姿勢も、憲法を神聖視するのも、極論である。

特に隔たりが著しいのは、9条と日米安全保障条約のとらえ方だ。

戦争放棄と戦力不保持を規定した9条は、戦後体制の産物だ。これに対し、安保条約は東西冷戦という新たな国際環境が産み落とした。

両者は日本の安保政策にとって表裏一体の関係にある。ところが、異なる時代背景を持っているため、運用にあたっては著しく複雑な論理を必要としてきた。

この結果、9条は解釈変更が繰り返され、集団的自衛権行使を容認した安保関連法の審議過程では、国論を二分する論争に発展した。

さらに現行憲法の構造的な特質として、法律に対するグリップ力の弱さを指摘しなければならない。

典型は92条だろう。地方公共団体に関して「地方自治の本旨に基づいて、法律でこれを定める」と規定しているだけで、具体的な内容は法律に任されている。

もしも「地方自治の本旨」とは何かが踏み込んで定義されていれば、米軍普天間飛行場の移設をめぐる政府と沖縄県の対立は異なる展開になっていたかもしれない。

ケネス・盛・マッケルウェイン東京大准教授の研究によると、ドイツ基本法(憲法)は地方分権の記述が3割を占めるのに対し、日本の憲法は全体の3%に過ぎないという。

憲法は国家の根本原則を定めたものだ。どこまでが憲法領域で、どこまでが法律領域かは、国によって異なる。ただ、統治の基本ルールを憲法に明示していなければ政府の恣意(しい)的な行動を招く可能性がある。


国際主義を深化させる
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安倍政権の長期化が見込まれる中で、憲法論議はまったく新しいステージに上りつつある。すでに衆参両院で改憲を容認する勢力が3分の2以上を占め、自民党は改憲項目の絞り込みを目指している。

衆参の憲法審査会では、大災害の発生など緊急事態時に国会議員の任期延長を例外的に認める条項や、地方の人口減少に対応して参院議員を都道府県の代表に定義し直す案などが、検討対象に挙がっている。

時代の変化に合わせた統治ルールの修正はあってもいい。

だが、自民党の改憲論には「手始めに」の狙いがついて回る。任期延長などを導入部として本丸の9条改正に迫る思惑が透けて見えるため、議論が堂々巡りになってしまう。

結局は、主要な与野党間で9条についての共通理解が必要になる。

まずは憲法論議をより前向きなものにしていくために、国際協調主義の深化を訴えたい。

自国エゴに基づく防衛論を主張したり、逆に日本だけ軍事と無縁であればいいと考えたりせず、国際平和を追求する中で9条の今日的なあり方をとらえ直すことだ。

南スーダンの国連平和維持活動(PKO)から陸上自衛隊が撤収すれば、部隊での日本のPKO参加はゼロになる。

21世紀に入り、PKOは武力を使ってでも住民保護を優先する流れが強まっている。9条の平和主義を維持しながら、日本がどう世界の安全に貢献するかは、苦しくても答えを出さなければならない課題だ。

海洋国家・日本の生命線は、世界との平和的なつながりである。現行憲法の役割を、グローバルに発展させることで、後ろ向きの「押しつけ論」から脱却できるはずだ。
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[日経新聞] 身近なところから憲法を考えよう (2017年05月03日)

ひとになぞらえれば、いよいよ古希である。いまの憲法が施行されて70年を迎えた。あちこちガタが来てもおかしくない。だから、大事にいたわるのか、それとも手術に踏み切るのか。思案のしどころだが、その前によく考えておきたいことがある。憲法は何のためにあるのだろうか。

いにしえの中国の説話のひとつに「鼓腹撃壌」というのがある。皇帝が自分はどう評価されているのかが知りたくて、お忍びで街歩きに出る。すると、老人が「皇帝なんぞ自分とは関係ない」と歌っていた、というものだ。

70年前になかった課題

為政者の姿を感じさせないのがよい政治というわけだ。鼓腹撃壌とは腹や地面をたたきながら歌い踊るさまを指す。小渕恵三元首相は「国民が鼓腹撃壌でいることが理想」とよく話していた。

確かに知っている閣僚の名前を挙げよ、といわれて、すぐに思い出すのは誰か。ばりばり活躍している現職でなく、震災の被災者をないがしろにする発言をした前復興相だったりする。記憶に残る為政者ができがよいとは限らない。

憲法も世論調査で「大事か」と聞かれれば「そう思う」と答える人が大半だろう。だが、日ごろ憲法の存在をさほど意識せずにいる国民の方が多いはずだ。憲法が日々気がかりな社会と、あまり気にならない社会のどちらが暮らしやすいかはいうまでもない。

70年前の国民はどう受け止めたのだろうか。施行当時、さまざまな解説書が配られた。憲法普及会の『新しい憲法 明るい生活』という冊子は2000万部も印刷されたそうだ。国会議事堂の隣の憲政記念館で開催中の70年記念展示でみることができる。

題名からわかるように、憲法を難しいものと捉えず、日常生活に則して考えようという内容だ。いまの私たちも同じ視点で見ていったらどうだろうか。

1年半ほど前、最高裁がこんな判決を出した。女性は離婚後、半年は再婚できないとしていた民法の規定は「過剰な制約」であり、100日を超える部分は違憲と判断した。離婚後に出産した子の父が誰かを科学的に調べることが容易になったことが背景にある。

同じ頃、渋谷区が同性カップルに結婚に相当する証明の発行を始めた。憲法は「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立」と規定し、政府は同性婚を認めていない。同性婚は合憲か違憲か。70年前には議論にもならなかった。

最高裁が初めて出した違憲判決は刑法の尊属殺人の過重罰規定である。2件目はさほど有名ではない。薬局は互いに近すぎてはいけないという薬事法の規定は違憲であるというものだ。

経済活動がもたらす弊害を防ぐという目的で設けられた法律や規制はよくあるが、このケースでは最高裁は憲法が保障する職業選択の自由を重くみた。

それでは、民泊はどうか。配車アプリを使って、マイカーをタクシーのように使うのはどうか。酒の安売り制限はどうなのか。目立つ訴訟にはなっていないが、似たような課題はいまも身近にある。わたしたちは気づいていないだけで、かなり日常的に憲法と触れ合っているのだ。

形式よりも中身が大切

安倍晋三首相はおととい、改憲派の国会議員らが催す集会に、現職首相として初めて出席した。あいさつでは「理想の憲法の具体的な姿を自信を持って国民に示すときだ」と語り、改憲に本格的に踏み出す意向を鮮明にした。

となれば、護憲派も身構えようし、憲法を巡り世の中が騒然となる事態も考えられる。暮らしやすい社会をつくるためのルールであるはずの憲法のせいで、社会がぎすぎすしては本末転倒だ。

立憲君主制の元祖である英国には憲法がない。こう説明すると、多くの人に驚かれる。

英国は王の権力を少しずつ制限してきた。国民は基本的人権や立法権を獲得し、行政権と司法権の分離がなされた。ひとつにまとめた憲法典はないが、過去の勅令や法律を総称して憲法と呼ぶ。英国民は自国が最古の立憲国家であることを誇りに思っている。

要するに、形式よりも中身だ。国民が憲法を軽んじれば何が起きるか。明治憲法は大正デモクラシーを育んだが、政党が政争の具にしたことで軍部独裁を生んだ。憲法の書きぶりは大切だが、それを日々の暮らしにどう生かしていくのかは、より大切である。

護憲か改憲かだけが憲法論議ではない。まずは身近なところから憲法が果たす役割を考えたい。
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[読売新聞] 憲法施行70年 自公維で3年後の改正目指せ (2017年05月03日)

◆「本丸」に着手するなら戦略的に◆

憲法はきょう、施行から70周年を迎える。

国民主権、平和主義、基本的人権を3原則とする憲法は、国民に広く支持され、定着した。

一方で、一度も改正されていないため、内外の情勢が大きく変化する中で、様々な歪(ひず)みや乖離(かいり)が生じているのは確かである。

安倍政権の安全保障関連法制定は、現憲法の枠内で齟齬(そご)を是正する一つの試みだった。だが、日本を取り巻く国際情勢の悪化を踏まえれば、十分とは言えまい。

◆幅広い合意形成が重要

国の最高法規を、新たな時代の多様な課題にきちんと対応できる内容に着実に見直す。与野党には、その重要な作業に誠実かつ真摯(しんし)に取り組む責任がある。

安倍首相は読売新聞とのインタビューで、「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と語り、20年までの憲法改正・施行の実現に向けて意欲を示した。

憲法改正に前向きな勢力は、衆参両院で改正発議に必要な3分の2を超えているのに、肝心の両院憲法審査会での論議は停滞気味と言わざるを得ない。首相自らが、あえて改正の目標年を明示して、議論の活性化を図ったことは評価できよう。

首相は、具体的な改正項目として、9条を挙げ、「私の世代で自衛隊が違憲だと言われる状況を変えねばならない」と強調した。

戦争放棄などを規定した現行の1、2項は維持し、自衛隊の根拠規定を追加する案にも言及した。自民党総裁として、党の具体案作りを急がせるという。

自衛隊は軍隊や戦力でないため憲法に反しない。今の政府解釈は確かに、極めて分かりづらい。多くの憲法学者が自衛隊を「違憲」と決めつける異常な状況を早期に解消すべきだ、という首相の問題意識は理解できる。

最近、北朝鮮は核・ミサイル開発に伴う軍事的挑発を繰り返し、中国は独善的な海洋進出や軍備増強を続ける。自衛隊を憲法に明確に位置づける必要性は大きい。

◆教育無償化は慎重に

9条改正でこの点を前面に掲げるのは、「加憲」を主張する公明党や、改正に慎重な民進党に配慮し、より多くの党の賛成で改正の発議を目指すためだろう。

国民投票で過半数の賛成が必要という改正のハードルの高さを踏まえれば、幅広い合意形成を優先するのは当然だ。仮に最初の国民投票で改正が失敗すれば、その後、改正は何年も遠のくだろう。

首相は13年に改正要件を緩和する96条の改正を唱えた際、「先行改憲」などと批判され、96条改正論を封印した経緯もある。

9条は憲法改正の本丸だ。国論を二分しかねない、重いテーマでもある。自民党は、衆参両院の憲法審査会の議論を踏まえ、民進党とも丁寧に意見交換し、戦略的に取り組まねばならない。

首相は、教育の無償化を実現するための改正にも前向きな考えを示した。「高等教育も全ての国民に真に開かれたものとしなければならない」と語った。

教育無償化を憲法改正の3本柱の一つに掲げる日本維新の会との連携を強化する狙いがあろう。

しかし、無償化の対象を、義務教育の小中学校だけでなく、幼稚園・保育園から高校、大学にまで広げる場合、年間4兆円超の財源を要するとされる。国債発行で賄うような安易な「次世代へのつけ回し」は禁物だ。

親の所得制限を伴う給付型奨学金の拡大といった代替案を含め、慎重な検討が求められよう。

大規模災害時における緊急事態条項の創設も重要な論点だ。

国政選が実施できないような被害が出た場合、国会議員の任期延長を可能にしておく。こうした特例措置には、与野党を問わず、支持する意見が多い。

◆緊急事態条項の検討を

より効果的な被災者の救助・支援のため、首相権限を一時的に強化する規定も、多くの国の憲法が備えている。「災害大国」の危機管理策を真剣に検討すべきだ。

地方の人口減少が続く中、参院選の合区の是非についても、本格的に議論する必要がある。

地方では、「我々の声が国政に届きにくくなる」との危機感が強い。合区の解消には、参院議員に地域代表の性格を持たせ、全都道府県から最低1人を選出する仕組みの導入が一案とされる。

衆参両院の役割分担を含めた根本的な議論が欠かせない。現在は、参院各会派の代表が参院選挙制度改革を協議しているが、有識者を交えた議論の場を新設することも考えてはどうか。
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