2017年03月11日

[東京新聞] 3・11とメディア 福島 もう一つの真実 (2017年03月11日)

トランプ米大統領のオルタナティブファクト(もう一つの事実)。米国だけの問題ではない。原発報道には以前からあった。どう伝えるかを考えた。

福島県立福島高校のホームページに先月、「福島第一原子力発電所見学報告」がアップされた。昨年十一月に見学した。

報告書を読むと、生徒たちは日ごろから放射線量の計測をしたり、国際ワークショップに参加したりしている。事前に学習会を開き、質問事項も考えていた。

「今、大きい地震が来たときの対策は取られているのか」「賠償は最後の一人になるまでと聞いたが、どこまでいったら最後の一人なのか」−。被災地に生きる高校生ならではの問いが並ぶ。


◆高校生の鋭い観察眼
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見学中、路上に配線や配管が多かったことから「冗長性」も尋ねている。冗長性とは、異常時に備えて、あえて付加した余裕の設備などだ。「原子力発電所は二重、三重にするのが基本的な考え方だが、今の1F(第一原発)では二重が限界。あわてて作ってきたので、本当に二重になっているかは怪しい」と本音を引き出した。

高校生が第一原発に入るのはこれが初めて。全国紙の記事がインターネットのニュースサイトに載った。

「高校生たちは放射線や廃炉について自ら調べ、国内外に発信してきた」と紹介。参加したのは男女十三人だが、写真は壊れた原子炉建屋を背景にした女子生徒、記事中のコメントも女子生徒だった。好意的な記事だったが、インターネット上では「女子生徒の体が心配だ」といった声も出た。

感心な高校生の記事と、放射能は怖いという感想。福島に関する記事ではよくあるパターンだ。

生徒が見学によって被ばくした線量は四・三マイクロシーベルト。日本人の外部被ばくは一日二マイクロシーベルト弱で、二日分を余分に浴びたぐらいだった。


◆説明とデータが違う
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ある女子生徒は見学の前に言っていた。「私は放射線の勉強をし、自分の被ばく量も分かっていて、がんの心配はないと考えています。でも、母が気にしているので甲状腺がんの検診は受けます」

甲状腺がんは多くの福島県民の関心事だ。チェルノブイリ原発事故では甲状腺がんが多発した。福島県では二〇一一年十月から、ゼロ歳から十八歳までの全員を対象に検診を始めた。生涯にわたってチェックする方針だった。

よく言われたのは「子どもの甲状腺がんは百万人に数人」「チェルノブイリでは事故から五年後に急増した」だった。

一回目の対象は約三十七万人。がんと診断された人は百人を超えた。専門家は「高精度の検査で、小さいがんを早くに見つけたためだ」と説明した。新たな患者は少なくなると考えられた二巡目の検査だが、昨年末までに四十四人ががんと診断された。前回は異常なしだった子どももいた。

予想と違うデータに、記者会見では毎回、「多発は事故のせいでは」との質問が出る。だが、福島県の検討委員会は「チェルノブイリの知見から被ばくの影響とは考えにくい」の繰り返しだ。「がん患者が○人増加した」と「放射線の影響は考えにくい」という真逆にもみえることが一本の記事になる。「もう一つの事実」が真実を見えにくくしている。

甲状腺がんが増える期間に入った昨年、検査の縮小を求める声が福島県内で強くなった。理由の一つに「国内外での風評につながる可能性」が挙げられ、それがそのまま報道されている。甲状腺がんの増加は風評ではない。事実を風評と過小評価してはいけない。

昨年、「福島子ども健康プロジェクト」が発表した八歳ぐらいの子を持つ母親を対象にした調査では63・7%の人が「放射能の情報に関する不安がある」と答えている。放射線被ばくとがんの関係は研究者によって意見が異なる。それが県民を不安にしている。

福島高校の原尚志(たかし)教諭は「生徒たちが県外で発表すると、質問は、あなたたちは福島県に住んでいて大丈夫なのかと、福島県の食品を食べているのか、ばかりなんです」と話す。


◆自分の目で見ること
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高校生の感想をもう少し。

「誰かのフィルターをかけた1Fではなく、自分の目で見ることができてとても良かった」

「私たちが直面している『偏見』も、今の時点で残っていることは何一つおかしなことではなく、これが恒常的なものになってしまうのかどうか、それを防ぐのかは、これからの私たち次第なんだと強く感じました」

エールを送ろう。私たちは福島に寄り添う。忘れない。そして「何が本当のことなのか」。それを見極めて報道していく。
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[産経新聞] 【主張】東日本大震災6年 今ある痛みを共にしたい 実情に合った支援が必要だ (2017年03月11日)

6年がたった。

何年たとうが、鎮魂の念を持ち続けたい。

犠牲になるいわれの何もなかった人々である。その遺志を継ぎ、東日本大震災で被害を受けた東北に尽くすことは、私たちの責務にほかならない。

同時に、時間の経過とともに復興の進み方に差が生じていることに、注意を払いたい。

新しい家に入った人がいる。一方で、岩手、宮城、福島の3県では2月末現在、それぞれ1万人以上の人がなお、応急仮設住宅での暮らしを余儀なくされている。

広い被災地の各地で、異なる現実がある。実情に合わせた支援が必要なのは、いうまでもない。

見えにくくなる心の傷

物的な復興ばかりではない。

ある現実を報告したい。

2月末、平日の午前中。福島県内の仮設住宅から、50代の男性がふらつきながら出てきた。

朝から飲酒していた。被災者を支援する集いに連れて行こうと、「相馬広域こころのケアセンターなごみ」の職員が肩を支えた。

午後、改めて訪ねた。布団は敷いたままで汚れ、床に菓子パンが無造作に置いてあった。男性は、東京電力福島第1原発事故で避難指示が出た飯舘村から家族で仮設に入った。父親は震災の約1年後に病死したという。

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酒が続くようになった。

飯舘村の避難指示は、今月末で一部を除き解除される。しかし男性は村に帰るかどうか、揺れている。今の暮らしは気楽で、離れたくないという思いがある。

一方でつぶやいた。「もう一回やり直さないと。父ちゃんとやってた農業やりたい」。前を向く気持ちを、なくしてはいない。

被災者の心の傷は、年月とともに見えにくくなった。しかし震災が人々になお精神的な影響を与えていることに、敏感でいたい。

福島県では毎年、原発事故の避難住民を対象に心の健康の調査が行われている。平成27年度に電話支援した一般人約2600人中、100人以上が、震災を思い出して恐怖を覚えるなど心的外傷(トラウマ)反応を見せた。

福島県だけではない。宮城県の27年度健康調査でも、プレハブ仮設に住む18歳以上の7・5%が、強い心理的苦痛を感じている。

東北3県では震災に関連する自殺も多い。今年1月末までで福島88人、宮城49人、岩手42人。

他方、全国の自治体から派遣される職員やボランティアは減っている。各地では、「震災いじめ」が表面化している。寂しい現実である。

自立した、あるいは自立に向かう被災者も多いだろう。しかし、今も困難を抱える人が置き去りにされてよいはずがない。

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それぞれにできること

「なごみ」は、被災者のもとに出向いて支援を続けている。訪問相談は年1000件を超える。

「人生どうでもいい」「働く気になれない」「寂しい」。そんな声が被災者から聞かれる。「死にたい」という声もある。アルコール依存も深刻な状態が続く。

「回復できる人とできない人の二極化が進んでいる」と、「なごみ」の米倉一磨センター長は指摘する。物的な復興と同様に、精神面の復興でも差が広がっているのが、被災地の現状である。

「福島はどうせ忘れられる」という声もある。孤立感を深め、心身の健康を損ねかねない人がいることを、忘れてはならない。

被災者の心のケアは、平成7年の阪神大震災で定着した。災害があると専門家や自治体が即応し、支援体制が組まれてきた。

しかし制度や専門家が必要であっても、それだけが人の心を癒やすのではない。

阪神大震災でケアの方法の原型を築いた精神科医がいた。奔走する一方で、医師は、ケアとは方法だけの問題ではないと訴えた。

今ある痛みに共感することを、医師は出発点に置いた。

「“心の傷を癒すということ”は、精神医学や心理学に任せてすむことではない。それは社会のあり方として、今を生きる私たち全員に問われている」(安克昌(あん・かつまさ)『心の傷を癒すということ』)

被災者を孤立感から救うのも、社会から見守られているという意識にほかなるまい。

関心を持ち続けよう。

私たちそれぞれが東北にできる支援を、考え続けよう。
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[毎日新聞] 朴大統領罷免 挫折乗り越え安定望む (2017年03月11日)

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民主化から30年という節目を迎えた韓国の政治史において極めて大きな挫折と言うべきであろう。

韓国の朴槿恵(パククネ)大統領がきのう憲法裁判所の決定によって罷免された。

憲法裁は、親友である崔順実(チェスンシル)被告の私益を図るために大統領の権力を乱用し、真相究明を妨げたことで法治主義の精神を毀損(きそん)したと断じた。

罷免による不利益よりも、朴氏の行為が憲法秩序に与える否定的影響の方が大きいという判断である。現在の混迷ぶりを考えれば理解できる結論だろう。


世論の離反招いた強権
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憲法裁は、財閥に巨額の出資をさせて設立した財団の事業などを通じて崔被告が不当な利益を得たと認定した。崔被告に公文書を見せていたことも違法だと判断した。

公的な立場にない崔被告が大統領に大きな影響を与えていたことは韓国社会に大きな衝撃を与えた。崔被告との不透明な関係は、大統領として適切なものだったとは言えない。

一方で、国民が選んだ大統領を強制退去させる事態になったことは韓国社会にとってマイナスであろう。大統領直接選挙は民主化で勝ち得た最大の成果だったからだ。

5年前の大統領選では、朴氏の父である朴正熙(パクチョンヒ)氏の名前が選挙集会でよく叫ばれた。民主化運動を弾圧したものの、同時に経済成長の立役者とされる人物だ。

朴氏は、貧しいながらも希望を感じられた父の時代を懐かしむ人々の期待を背負って政権に就いた。不正腐敗とは縁遠いというイメージも人々に期待された。

しかし、選挙戦で社会統合の必要性を訴えていた朴氏の政権運営は、実際には反対派の意見に耳を傾けようとしない強権的なものとなった。国内での記者会見も新年にしか応じず、説明責任を果たすべきだという批判も受け付けなかった。民主社会の指導者としては問題だと指摘せざるをえない。

世論は弾劾支持が圧倒的だったものの、朴氏支持者は強い反発を示している。

だが、そもそも弾劾は公職を剥奪するかどうかという政治的判断であり、刑事罰を問うものではない。冷静な対応をしてほしい。

朴氏に対しては検察が改めて捜査を行うことになるだろう。朴氏は誠実に対応しなければならない。

民主化後の大統領たちは例外なく任期末のスキャンダルに苦しんできた。大統領に権力が集中しすぎていることが背景にあると指摘され、権力を分散させる憲法改正の必要性が議論されている。改憲へ向けた合意形成は簡単ではないが、より成熟した民主主義を目指す取り組みとして注視したい。

新しい大統領を選ぶ選挙は5月上旬までに行われる。

朴政権の与党は分裂し、勢いを失っている。盧武鉉(ノムヒョン)元大統領の側近だった勢力が主流となっている最大野党「共に民主党」側が優勢で、左派色の強い政権が誕生する可能性が高そうだ。

現在の韓国では、朴政権の業績を全否定しようとする風潮が強まっている。次期政権は政策を全般的に見直そうとするだろうが、前政権を否定しようという気持ちが先走るようではいけない。


日韓合意の維持が重要
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特に、外交や安全保障政策については継続性が重要である。

韓国を取り巻く国際情勢は厳しさを増すばかりだ。

北朝鮮は弾道ミサイルの発射を繰り返しており、6回目となる核実験を行う可能性も否定できない。

金正男(キムジョンナム)氏殺害事件も北朝鮮の国家犯罪である疑いが強い。友好国だったマレーシアとの外交関係まで危うくさせる金正恩(キムジョンウン)政権の行動は常軌を逸している。

北朝鮮への対応では日米韓の連携が基本である。

ところが、共に民主党で最有力候補とされる文在寅(ムンジェイン)氏は、在韓米軍への「終末高高度防衛(THAAD=サード)ミサイル」配備や慰安婦問題に関する一昨年の日韓合意を疑問視する発言をしている。

日韓合意は、両国関係を改善の流れに戻すのに大きく寄与した。必ず守られねばならないものだ。

日韓では、北朝鮮に関する情報共有を進めるための軍事情報包括保護協定(GSOMIA)も重要だ。これがなければ、米国を含めた防衛協力にも影響が出かねない。

米軍は、THAAD配備を急いでいる。韓国の大統領選前に既成事実を作っておこうという意図は容易に読み取れる。

韓国はいまや北東アジアの地域情勢に影響を与えうる有力な国家である。次期政権をうかがう政治指導者には、外交の基本路線踏襲を明確にするよう求めたい。

重要な隣国が激動に見舞われている中、日本の長嶺安政駐韓大使は現場に不在である。慰安婦問題を象徴する少女像の問題で政府が一時帰国させたものだが、ソウルに帰任させる時期ではないか。

次期大統領には、深く分断された韓国社会を再びまとめる取り組みが求められる。大きな挫折を乗り越え安定した社会を再建してほしい。
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[日経新聞] 険しさ直視し震災復興たゆまずに (2017年03月11日)

東日本大震災からきょうで6年になる。東京電力福島第1原子力発電所の事故が重なり大きな被害が出た福島県では、なお8万人近くが避難を続ける。宮城、岩手県などの津波被災地でも、復興住宅が完成したのに入居が進まないといった課題が浮かんでいる。

年月を経て見えてきたのはコミュニティーを再建することの難しさだ。復旧の進捗も地域によって差が出ている。国や自治体はこれらの現実を直視し、実効性の高い復興策に見直していくときだ。

帰還しやすい街に

福島第1原発から20キロ圏にある福島県楢葉町。2015年9月に避難指示が解かれたが、約7千人いた町民のうち戻ったのは1割にとどまる。役場近くにできた仮設商店街は、復旧工事の作業員が立ち寄るほかは人影は少ない。

福祉施設や金融機関も多くが町外に移転したままだ。「住民がもっと戻らないと店舗などを再開できない。再開しないうちは住民も戻らない」と、町の職員はジレンマを打ち明ける。

原発周辺の放射線量は徐々に下がり、これまでに楢葉町を含め5市町村で避難指示が解除された。だが田村市東部で7割の住民が戻ったほかは、帰還率は1?2割に低迷している。「子どもへの放射線の影響が心配」「避難先で生活再建にメドが立った」などの理由で戻らない住民も多い。

政府は4月1日までに川俣町、飯舘村など4町村でも避難指示を解除する。事故直後に比べると、避難指示が出ている地域の面積や対象人口は約3分の1に減る。

残った帰還困難区域についても「拠点地区」を定めて除染を始め、5年後をめどに避難指示の解除をめざす。だが、この区域でも帰還を望む住民が少ないうえ、拠点地区以外の地域が切り捨てられるのではという懸念も出ている。

帰還を希望する人が戻りやすいように、町役場などを中心にコンパクトな街をつくり、その地区以外からの避難者も移り住んでもらう方策が必要だ。企業や工場を誘致し、とくに若い世代の雇用を確保することも欠かせない。

帰還を諦めた人への支援も忘れてはならない。現状では東電からの賠償金は避難指示解除から1年後に打ち切られる。移住先での生活再建が軌道に乗るまでは、就労支援策などを続けるべきだ。

福島第1原発の廃炉はこれから難関に差し掛かる。作業を滞らせてきた汚染水の量が減り、地下水の流入を防ぐ凍土壁もひとまず効果を上げつつある。だが事故で溶け落ちた「デブリ」と呼ばれる核燃料が原子炉のどこに、どんな状態で残っているのか、いまだにわかっていない。

政府と東電は今年中にデブリの回収方法を決め、21年に作業開始をめざしている。デブリは極めて強い放射線を出し、人が近づけないどころか、ロボットも故障が相次いでいる。回収の難しさがわかってきたが、国内外の技術を集め総力を上げて進めてほしい。

津波で甚大な被害を受けた岩手県や宮城県では復旧がほぼ終わり、各地で高台の宅地や災害公営住宅が完成した。だが、すでに空き地や空き家が目立ち始め、ここでも「戻らない被災者」が問題になっている。

地域の持続力高めよ

人口の約1割が犠牲になった岩手県大槌町では、町の中心部の約30ヘクタールの土地を平均2メートル程度かさ上げする事業が大詰めを迎えている。しかし、そこに戻る予定の被災者は当初想定の半分程度にとどまる見通しだ。高齢などの理由で自力で家を建てるのを諦めたり、避難先で暮らし続けると決めたりした人が相次いでいるからだ。

新たに整備した土地や公営住宅を使って、街のにぎわいを取り戻したい。被災者以外の住民にも利用を求め、福祉施設や観光客向けの貸家として有効活用すべきだ。

新たな街では住民同士の交流を促す仕組みづくりや、高齢者の足の確保も必要になる。バス路線などの開設が難しければ、自家用車で客を送迎する「ライドシェア」を導入すべきではないか。

住民から買い取った沿岸部の土地をどう活用するのかも今後の課題になる。公園や遊歩道などに利用する場合が目立つが、避難路を確保したうえで、産業再生の拠点としてもっと生かしたい。

被災地の共通点は、元から人口減少や高齢化に直面し、震災が追い打ちを掛けたことだ。政府は16年度から5年間で6兆5千億円の復興財源を確保している。被災地が持続可能な地域として再生できるように事業を再点検し、無駄のないよう予算を使ってほしい。
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[朝日新聞] 大震災から6年 「分断の系譜」を超えて (2017年03月11日)

どんなに言葉を並べても、書き尽くせない体験というものがある。東日本大震災と福島第一原発事故がそうだった。だからこそ、というべきだろう。あの惨状を当時三十一文字に託した地元の人たちがいた。

《ふるさとを怒りとともに避難する何もわりごどしてもねえのに》津田智

戦後を代表する民俗学者で歌人でもある谷川健一さんは、亡くなる前年の12年、そうした約130首を選んで詩歌集「悲しみの海」を編んだ。

震災から6年。

いまも約8万人が避難する福島で広がるのは、県内と県外、避難者とその他の県民、避難者同士という重層的な「分断」である。

朝日新聞と福島放送が2月末におこなった世論調査で、福島県民の3割は「県民であることで差別されている」と答えた。

《「放射線うつるから近くに寄らないで」避難地の子に児らが言はるる》大槻弘

同じデマがまだ聞こえるという事実が、心を重くする。

■外と内の「壁」

原発、放射線、除染、避難、賠償……。これらは福島を語るうえで避けて通れない。そして語る者の知識や考えを問うてくるテーマでもある。福島問題は「難しくて面倒くさい」と思われ、多くの人にとって絡みにくくなっている――。社会学者の開沼博さんが2年前に指摘した「壁」はいまもある。

県内では、沿岸部の3万2千人への避難指示がこの春、一斉に解除される。一方、2万4千人はいまだ帰還のめどがたたない。自主避難者への住宅無償支援は打ち切られる。

戻る。戻らない。戻りたくても戻れない。

避難者間の立場や判断の差が再び表面化し、賠償額の違いへの不満などから「あの家は……」と陰口がささやかれる。早稲田大の辻内琢也教授の調査では、首都圏の福島避難者のストレスは今年、上昇に転じた。

■「もやい直し」の試み

この国の戦後を振り返ると、同じような分断とそこから立ち直ろうとする系譜に気づく。

熊本県水俣市。

チッソの排水を原因とした水俣病では、被害者とその他の市民が激しく対立し、「ニセ患者」「奇病御殿」などと中傷の言葉が飛び交った。そう言う人たちも地元を出ると、水俣というだけで差別された。

民俗学者として各地を歩いた谷川さんは、その水俣で生まれた。「『お国はどこですか』と聞かれて『水俣病の水俣です』と答えるときの引き裂かれるような苦痛は、育ったものでなければ分からないでしょう」

ふるさとを「福島」と言えずに「東北」とにごす避難者のせつなさに、きっと寄り添い続けただろう。

分断の克服をめざして、水俣市が約20年前に提唱したのが「もやい直し」だった。

船と船を綱でつなぎあわせるように、人のきずなを結びなおす。ごみ分別や森づくりなど住民が集まる機会を行政が仕掛け、思いがひとつになる小さな体験を重ねていく。「大切なのは、意見の違いを認めたうえで対話することだ」と当時の市長だった吉井正澄さんは言う。

成果は道半ば、である。水俣病の公式確認から61年。だが風評は消えない。今年1月には、県内の小学生が水俣市のチームとのスポーツの試合後、「水俣病がうつる」と発言していた。

「市民が必死に努力しても、簡単には解決しない」と水俣病資料館語り部の会の緒方正実会長は言う。「いま起きていることと向き合い、課題をひとつずつ減らしていくしかない。それが水俣からのメッセージです」

■復興に必要なもの

谷川さんは終生、沖縄の島々を愛した。ここもまた米軍基地をめぐる「分断」の地である。

米軍専用施設の71%が国土面積の0・6%の県に置かれ、その中で「平和だ」「経済だ」と対立してきた。

しかし各地の風土は多彩な魅力を持っている。それを知る谷川さんは、たとえ地元に良かれという「正義感」からでも、福島=原発、沖縄=米軍基地といったキーワードばかりで語られることを好まなかった。「(外部の支援者は)『水俣病の水俣』しか関心がない。水俣そのものの存在が忘れられるという事態が起こったのです」。重い言葉である。

地元不在の一面的な議論ばかりでは、福島を「難しくて面倒くさい」と思っている多くの人々を引き寄せられない。その結果、全国で共有すべき問題が、特定の地域に押しつけられたままになる。メディアにも向けられた言葉として受け止めたい。

《世界的フクシマなどは望まざり元の穏やかなる福島を恋う》北郷光子

福島沿岸部の復興は、まさに始まったばかりだ。ともに長い道のりを歩き、寄り添い続ける。そういう心を持ちたい。
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[読売新聞] 大震災6年 きめ細かな復興支援が大切だ  (2017年03月11日)

◆街の再生計画に工夫凝らしたい◆

1万8000人を超える死者・行方不明者を出した東日本大震災から6年を迎えた。

壊滅的打撃を受けた被災地が完全に再生を果たすまで、国を挙げて支援を継続する。その誓いを新たにしたい。

5年間の「集中復興期間」が昨年度で終了した。政府は今年度から2020年度までを「復興・創生期間」と位置付ける。その1年目が過ぎようとしている。

被災地の自立につながり、地方創生のモデルとなる復興を実現する――。政府は、新たな5年間の目標をこう説明する。

◆解消が進む仮設住宅

復興予算の全額を国が賄った集中期間には、計画が過大になりがちだった。今後は、予算規模も縮小される。真に役立つ事業を吟味し、予算を重点投入する。メリハリをつけた支援が必要になる。

岩手、宮城、福島県などを襲った大津波は、沿岸部の人々から住居を奪った。安定した生活拠点の回復のために計画された復興住宅の完成率は、今月末で83%に達する。高台などの集団移転地の造成も、70%近く完了する。

暮らしの基盤再生は、ようやくヤマ場を越したと言えよう。

復興・創生への道筋を具体的に示し、被災地のこれからの歩みを後押しする。復興庁を始めとする政府の責務である。

JR仙台駅から南に約4キロの街中に、2万4000平方メートルの更地が広がる。仙台市内最大の仮設団地だったが、昨年10月に解体作業が始まり、今年2月には地権者に土地が返還された。

3県の各地でプレハブ仮設の解消が進む。ピーク時には12万人近くに上った入居者数は、約3万5000人にまで減った。手狭な仮設団地がなくなった光景は、復興の証しの一つだろう。

ただ、移転先の復興住宅などでは、コミュニティーの構築が、必ずしも順調には進んでいない。

仮設住宅では、行政とNPOなどの民間団体が手を組み、住民同士の交流を促す活動を展開してきた。高齢者らの買い物をサポートする団体もあった。仮設から移り、こうした取り組みが減った、と岩手県内の被災者の一人は語る。

NPOなどとの連携は、復興庁が重点的に手がけてきた手法だ。引き続き積極的に活用して、住民の孤立を防いでもらいたい。

◆にぎわいを創出しよう

無論、住宅再建がスムーズに進んでいる地域ばかりではない。岩手県大槌町では、今も人口の2割近くが不自由な仮設住まいを余儀なくされている。

従来に増して、復興の進捗(しんちょく)度に応じたきめ細かな支援を実践すべき段階に入ったと言える。

各自治体が直面する問題が、住民の流出だ。それをどう克服するかは「創生」の核心でもある。

宮城県山元町は、移設されたJR常磐線の新駅周辺など3か所に住宅地を造成し、昨年10月に「まちびらき」の式典を催した。12月には、常磐線の運行再開で仙台への通勤路線も復活した。

町は子育てのしやすさをPRする。転入した新婚夫婦らに対して、最大300万円を補助する定住促進事業も打ち出している。

約740戸分の宅地と復興住宅は、ほとんど埋まった。

順調のように見える山元町でも、住宅地の1か所では、宅地の分譲数を計画の5分の1に縮小している。被災地全体でも、集団移転などの計画戸数は、希望者の減少に応じて縮小されてきた。

規模が小さくなった街で、いかに魅力を高めるか。自治体は工夫を凝らした青写真を描きたい。

宮城県南三陸町の仮設商店街「南三陸さんさん商店街」が今月、常設の商店街に生まれ変わったのは、明るい話題だ。

こうした例はまだ少ない。住宅再建が優先される中で、市街地再生が遅れ、テナント施設が不足していることが一因だという。

にぎわいの創出は、街を魅力的にする重要な要素だ。

◆子供の心に目配りを

復興への息の長い取り組みには若い力が欠かせまい。その意味でも、福島県で小中学生の不登校が増えているのは気にかかる。

昨年度は1862人の不登校が報告され、4年連続の増加となった。幼少時に経験した震災の明確な記憶がなくても、不安定な避難生活や家族の混乱を感じ取っているケースがある。

専門家による継続的な心のケアが求められよう。

原発事故に伴う避難指示の大幅な解除で、福島は復興の正念場を迎えた。子供たちのためにも、支援を強化せねばならない。
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