2014年10月15日

[東京新聞] 秘密保護法 欠陥は残ったままだ (2014年10月15日)

特定秘密保護法の運用基準などが閣議決定された。施行は十二月十日だ。政府の裁量で秘密指定の範囲が広がる恐れなど心配の材料は尽きない。国民の「知る権利」を脅かす法には反対し続ける。

国家機関が情報を隠したがるのは、護衛艦「たちかぜ」の乗組員の自殺事件でよくわかる。海上自衛隊内でのいじめが原因だった。訴訟で、存在するはずの文書を海自は「ない」と言い張ってきた。

内部告発者が現れたことで、海自はついに大量の文書を提出せざるを得なくなった。今年四月の判決で、東京高裁は自殺した乗組員の遺族に対し、高額な損害賠償を支払うよう国に命じた。

裁判の過程で、遺族側が求めた文書提出について、国は「訓練の状況を公開すれば、わが国の防衛活動の具体的内容を他国に知られ、欠点も明らかになる」などと述べて、応じなかった。とくに「わが国を防衛する任務に困難を来す結果を招くことは自明の理」と意見書に記してもいた。

結果的にこれらの文書はオープンになったが、驚くべきことに、どこにも「防衛に困難を来す」事実など書かれていなかった。秘密とされていたものが、秘密にも値しないことが裁判で暴露された事例といえる。特定秘密保護法は、こんなお役所体質にさらに拍車をかけるのではなかろうか。

官僚の裁量で秘密指定をする−、恣意(しい)性が働く点が危険といえる。運用基準では「必要最小限の情報を必要最低限の期間に限り指定する」と記された。だが、これも留意事項である。

法本体では「国の安全保障に著しい支障を与える恐れがある情報」を特定秘密としている。「何が秘密か、それも秘密です」という状況下では、「必要最小限」という留意事項が守られるか疑わしい。「安全保障に支障を与える」という言葉が闊歩(かっぽ)し、秘密の世界を拡大してしまうのではないか。

チェック機関として、内閣官房に「内閣保全監視委員会」、内閣府に「独立公文書管理監」と「情報保全監察室」が設けられる。

しかし、行政機関の「長」が指定する特定秘密について、行政機関の“手足”が本当に独立して監視できるのか。怪しいものだ。

法の成立時には多くの野党が反対に回った。国民の間にも不安が残っている。自民党総務会内でも懸念が相次いだほどだ。国会ではいま一度、法の根本から議論すべきテーマだと考える。
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[東京新聞] 新聞週間 倫理綱領の原点に返る (2014年10月15日)

きょう十五日からは新聞週間。朝日新聞の慰安婦報道などでの記事取り消しと謝罪、それをめぐる各紙の対応で大きく揺らいだ新聞への信頼をどう取り戻すのか。新聞倫理綱領の原点に返りたい。

本紙グループの社員には毎年、「真実 公正 進歩的」の社是と編集、販売、広告、事業綱領が刷り込まれた手帳が配布される。

この手帳には日本新聞協会が二〇〇〇年、豊かで平和な未来のために尽くすことを誓って新たに定めた「新聞倫理綱領」も記されている。言論、報道に従事する記者たちが折に触れて読み、確認しなければならない規範だ。

倫理綱領は、国民の知る権利を民主主義を支える普遍の原理として、この権利は、言論・表現の自由のもとに、高い倫理とあらゆる権力から独立したメディアの存在によって初めて保障され、新聞が最もふさわしい担い手であり続けたい、と宣言している。

二十一世紀がおびただしい量の情報が飛び交うネット時代であることを踏まえ、倫理綱領は、正確で公正な記事と責任ある論評が新聞の責務であり、読者との信頼を揺るぎないものにするために、すべての新聞人に言論・表現の自由を守り抜くと同時に自らを厳しく律し、品格を重んずることを求めている。殊に「自由と責任」「正確と公正」「独立と寛容」「人権の尊重」「品格と節度」の五つについては項目を立て、その在り方を詳述している。

倫理綱領の要請は、当たり前のことばかりだが、実践は至難。朝日新聞は慰安婦報道での記事取り消しに三十二年、ジャーナリスト・池上彰氏の批判に寛容さを示せず、他紙の朝日批判も報道・言論の一線を越え、品格と節度の点で問題を残した。綱領は掲げるだけで実践がなければ意味がない。社説などでの批判や提言に、読者から「自らに問えるのか」との叱責(しっせき)が聞こえる深刻な事態だ。

それでも情報化時代の言論・報道は、新聞が担わねばならない。あふれるほどの情報は逆に無いに等しく真偽不明の情報は疑心暗鬼と不安を招く。正確で公正な情報と言論が提供されなければならないゆえんだ。読者の信頼なくして新聞は成り立たない。そのためにはすべての新聞人が倫理綱領の原点に返るしかない。

本紙にとって先輩にあたる言論人・桐生悠々は、言いたいことではなく言わねばならない主張を貫いた。戦後七十年の日本の節目にその覚悟と気概を引き継ぎたい。
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[産経新聞] 【主張】原発の断層審議 お白州方式から決別せよ (2014年10月15日)

あたかも時代劇のお白州での裁きのようだ。

日本原子力発電敦賀2号機(福井県敦賀市)の原子炉建屋の下を走る破砕帯(断層)について、原子力規制委員会が進めている検証作業の印象である。

この破砕帯が活断層かどうかを調べる規制委専門家調査団の評価会合で原電が用意した最新の地質調査結果が門前払いになっていた。

事務局の原子力規制庁と原電の間での事前調整で、新資料の審議が了承されていたにもかかわらず、9月4日の評価会合当日、一方的に不採用となったのだ。

周辺の地層に含まれる火山灰の存在などに基づいて、問題の破砕帯が活断層ではないことをより明確に立証しようとした資料であるだけに、審議のあり方の公正さが問われよう。

議事を取り仕切った規制委の島崎邦彦委員長代理(当時)は「議論の度ごとに新しい資料を出されると(断層評価が)終わらない」として、新資料を使わないまま審議を進めた。

破砕帯の活動性の有無は、科学的検証作業を通じて判断される。新データは正しい結論に至るための貴重な材料だ。それを使わないまま結論を急ごうとするかに映る規制委専門家調査団の姿勢は、科学者らしからぬ対応と批判されても仕方あるまい。

島崎氏はこの評価会合の後、任期満了で退任した。後任の石渡明氏には、東北電力東通原子力発電所など活断層が問題になっている他の原発の評価会合の進め方についても再検討してもらいたい。

規制委専門家調査団と電力会社は、議論を進める上で対等であるべきだ。にもかかわらず、これまでは規制委側が数段高い所に座を占めて電力会社側を見下ろすかのような関係になっている。

現在の専門家調査団のメンバー交代もあってしかるべきである。断層の見極めは難しい。判断を誤らないためには活断層に精通した学者の増員が必要だ。

専門家調査団の判断は、電力会社の存廃だけでなく、地域経済や国のエネルギー安全保障にも大きな影響を及ぼす。調査団にはその自覚があるのだろうか。

調査団側に、初めから原電敦賀の破砕帯を活断層と決めつける意向があるとしたら、ゆゆしき問題だ。「これにて一件落着」という強引な幕引きは許されない。
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[産経新聞] 【主張】新聞週間 信頼向上と報道の自由を (2014年10月15日)

15日から新聞週間が始まった。新聞の重い責務を自覚し、読者の信頼を高める契機としたい。

インターネットなど情報伝達手段が多様化するなかで、歴史の長い責任あるメディアとして、新聞の役割と報じる内容が問われている。今年は、その信頼にかかわる問題が起きた。朝日新聞が、慰安婦報道や原発報道をめぐり誤報記事を撤回した。

朝日は8月に自身の慰安婦報道について検証し一部誤報記事を取り消した。東京電力福島第1原発事故の「吉田調書」をめぐる誤報も木村伊量(ただかず)社長が9月に会見して認め、慰安婦報道の誤報記事撤回の遅れを含め謝罪をした。

誤った記事について検証し、撤回するのは当然であり評価できることだが、世界に誤解が広がり厳しい批判を招いた責任は重い。

新聞は情報をいち早く伝えるだけでなく、解説記事や調査報道を通し、分かりやすく深く伝える工夫をしている。情報が多い時代に多様な意見をふまえ、読者に考える指針を示す役割が増している。それだけに事実をゆがめて伝えることがあってはならない。

予断をもって都合のいい情報をつなぎ合わせ報じることがないか。メディア全体、とりわけ新聞界は襟を正したい。

メディアが多様な情報や意見を伝える自由は、民主主義社会の根幹である。しかし、韓国の検察当局が、本紙の前ソウル支局長を情報通信網法違反の罪で在宅起訴するという極めて異例の事態が起きた。出国禁止措置も長期間とられている。報道、言論の自由の重要性を繰り返し訴えていかねばならない。

産経新聞は、過去にもこの主張で唱えたように、「権力を恐れず、俗論におもねらず、外国や特定勢力に気兼ねすることなく言論機関の使命、役割を果たす」ことを基本姿勢としてきた。改めて心にきざみたい。

新聞週間の今年の代表標語は「ふるさとが 元気と知った 今日の記事」だ。東日本大震災の被災地はなお復興途上にあり、故郷を離れて新聞を手に取る人も少なくない。来年は戦後70年を迎え、国のあり方について考える機会も多くなる。新聞同士、メディア相互が論戦し、批判を含めて真摯(しんし)に受け止め、報じる内容の質を高める。それを通し読者の信頼に応えたい。
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[毎日新聞] 社説:新聞週間 情報社会の礎として (2014年10月15日)

きょうから新聞週間が始まる。

民主主義とは、国民が主体的に物事を判断し、意思決定に加わるシステムだ。判断するには情報がなくてはならない。この要請に応える中心的なメディアが新聞であることを、改めて自覚したい。

認知症の問題に取り組んだ「老いてさまよう」の報道で、本紙は今年度の新聞協会賞を受賞した。認知症で行方不明になった人が、自分の名前を話せないために身元不明者として施設に入居している事実などを掘り起こしたことが評価された。

大阪市で保護され、「太郎さん」と呼ばれていた男性は、本紙報道後に身元が分かり、兵庫県にいる家族との再会を果たした。国内の認知症患者は、軽度の人を含めると860万人以上と推定され、今や誰もが当事者になり得る。

ところが、行政の態勢は十分とは言い難い。保護する警察と、引き渡しを受ける自治体との連携不足が、身元の早期確認を遠ざけていた。日常生活の足元にある問題を探りあてる報道の重要性がここにある。

一方で、今年は新聞界にとって残念な出来事があった。朝日新聞は慰安婦をめぐる証言や、東京電力福島第1原発事故の「吉田調書」報道について誤報だったことを認め、社長が謝罪する事態に追い込まれた。批判は今も続いている。

朝日は自らの責任で誤報の原因を検証し、真摯(しんし)に結果を示さなければならない。同時に朝日以外の新聞社は、他山の石として重く受け止める必要がある。読者の支えがあってこそ「最も信頼できるメディア」という新聞の地位があるからだ。

新聞・通信・放送の計130社が加盟する日本新聞協会は2000年に新しい新聞倫理綱領を制定した。「自由と責任」「正確と公正」「独立と寛容」「人権の尊重」「品格と節度」の五つを掲げている。

「自由と責任」の項目で、綱領は新聞が報道・論評の完全な自由を有するがゆえに行使にあたっては重い責任を自覚すべきだと指摘する。

「人権の尊重」の項目では、報道を誤ったときは速やかに訂正すべきだと説いている。全ての新聞人が改めて胸に刻むべき原則だろう。

インターネットの発達に伴い、スマートフォンやパソコンで短いニュースを読む人が増えている。しかし、ネットニュースの多くは、新聞社や通信社が配信している。

訓練されたプロの集団として新聞社が十全に機能していなければ、影響はネットの世界のみならず、民主主義そのものに及ぶ。

新聞は情報社会の礎になる。その決意で、これからも読者に良質な新聞を届け続けたい。

2014年10月15日 02時30分
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[毎日新聞] 社説:秘密法の基準 恣意的運用を妨げない (2014年10月15日)

国民の「知る権利」が守られる運用になるのか。依然、不安は大きい。政府は、特定秘密保護法の施行を12月10日とする政令と、法の運用基準を閣議決定した。

7月に基準の素案をまとめたが、行政が情報を恣意(しい)的に秘密指定する余地が残り、監視機関の権限も限定的だった。国民からのパブリックコメント(意見公募)では、廃止を含めた批判意見が多くあった。

秘密法は、行政機関の長の判断で、防衛や外交など国の所有する情報を特定秘密に指定できる。行政にとって不都合な情報の隠れみのとすることも可能だ。そうした不適切な指定をさせない実効性のある監視やチェックの仕組みが欠かせないと私たちは主張してきたが、微修正にとどめた運用基準は評価できない。

監視組織として、政府は独立公文書管理監をトップとする情報保全監察室を内閣府に新設する。だが、管理監が秘密指定に問題があると考え、情報の開示や資料提供を求めても、各省庁が安全保障上著しい支障を及ぼすと判断すれば拒否できる。

米国で似たような役割を持つ情報保全監察局長には高い独立性があり、行政機関への機密解除請求権が保障され権限は格段に強い。だが、管理監の権限は拡大されなかった。そもそも局長より下の審議官級でお目付け役が担えるのか疑問だ。独立性を守るため、監察室員の出向人事をしないよう求める意見も強かったが、取り入れられなかった。

違法、不適切な秘密指定がなされた場合、知る立場にある公務員らが内部通報できる仕組みについても改善を求める声が強かった。秘密の内容を要約して通報しなければならず、通報の実効性が保障されるのか疑問があるうえ、通報によって不利益な扱いを受けた場合の救済機能もないからだ。だが、修正はなかった。

また、省庁が秘密指定を解除した文書のうち指定から30年以下の文書は、首相の同意で廃棄が可能だ。これでは、後に検証が必要となっても不可能となりかねない。

国の情報は国民に公開するという民主主義の原則が十分に尊重されないままの施行に改めて反対する。一方、たとえ施行されても「知る権利」を託された報道機関の役割は変わらない。

先週行われた自民党の総務会では、「知る権利」や報道・取材の自由をどう守るかについて政府側の説明の不十分さを指摘する意見が相次いだ。一度は運用基準案の了承が見送られたが結局、了承された。国民の不安を解消できていない。

本来、昨年の法案審議の段階で徹底議論すべきだった。臨時国会で運用基準について問題点を洗い直す努力をすべきだ。

2014年10月15日 02時32分
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[読売新聞] 秘密保護基準 「知る権利の尊重」を貫きたい (2014年10月15日)

国民の「知る権利」を守りつつ、機密情報の漏(ろう)洩(えい)防止と両立させることが肝要である。

政府は、特定秘密保護法を12月10日に施行することを閣議決定した。秘密の指定・解除のルールや手続きなどを定める運用基準と政令も決めた。

秘密保護法は、防衛、外交、スパイ防止、テロ対策の4分野の特定秘密を漏らした公務員らに最高で懲役10年を科すとしている。

日本の平和と安全の確保には、安全保障に関する情報を米国や関係国と共有することが不可欠だ。それには、政府全体で包括的な漏洩防止策を講じ、各国が日本に情報を提供しやすい環境を整え、信頼関係を築く必要がある。

運用基準と政令は、秘密指定の対象として55の細目を明示し、指定権限を持つ行政機関を61から外務、防衛両省など19に絞り込んだ。法律の拡張解釈の禁止、報道の自由への配慮、公文書管理法と情報公開法の適正運用も明記した。

秘密の対象が無制限に広がるとの主張があったが、かなり具体的な線引きが示されたと言える。

7月の運用基準素案の提示後、意見公募(パブリックコメント)に2万3820件の意見が寄せられた。その結果、「国民の知る権利の尊重」の明記や、違法行為の秘密指定禁止、5年後の基準見直しなど27か所が修正された。

国民の関心が高い中、建設的な提案を積極的に運用基準に反映したことは妥当である。

不適切な秘密指定に関する内部通報の窓口も、政府内に設置される。通報者が不利益を受けないよう配慮することが大切だ。

運用基準は、官僚による安易で恣意(しい)的な秘密指定や文書管理を防止するため、重層的な歯止め規定を盛り込んだと評価できる。

まだ不十分だ、という声も一部にある。しかし、具体的な基準が明示されないまま、各府省が独自の判断で秘密文書を扱っている現状と比べれば、手続きの透明性が高まることにより、身勝手な運用をしにくくなるはずだ。

無論、公務員が罰則に萎縮して取材に非協力的になったり、安易な秘密指定をしたりする懸念が完全に払拭されたとは言えない。

安倍首相や関係閣僚は、各行政機関が法律を適切に運用するよう指導力を発揮すべきだ。国民にも丁寧な説明を続けてほしい。

法律の運用状況をチェックするため新設される国会の情報監視審査会や政府の情報保全監察室も、緊張感を持って、その役割を果たすことが求められる。
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[読売新聞] 土砂災害対策 危険への住民意識を高めよう (2014年10月15日)

8月に発生した広島市の土砂災害の犠牲者は、74人に上った。

惨事を繰り返さないことが重要である。広島市に限らず、危険地域の住民には、万一の災害への備えが求められる。

政府が、土砂災害防止法改正案を閣議決定し、国会に提出した。危険地点を速やかに警戒区域に指定するのが目的だ。都道府県に対し、指定に先立つ基礎調査を終えた時点で、指定予定区域の公表を義務付けた。

自宅が土石流や崖崩れなどに巻き込まれる危険性があることを、多くの住民に認識してもらう。いざという時の早期避難につなげる。こうした狙いは妥当だ。

広島市の災害では、土石流などが発生した166か所のうち、7割余が警戒区域に指定されていなかった。全国でも、52万か所の危険地点があるが、指定が済んでいるのは35万か所にとどまる。

指定が遅れている主な理由は、対象地域の住民の反対だ。「自宅の資産価値が下がってしまう」と懸念する声が多い。調査にあたる都道府県の予算や人員が不足しているという事情もある。

改正案は、調査が遅れている都道府県に、国土交通相が是正を要求できるようにした。広島県のように、危険地点を多く抱える都道府県は、効率的に調査を進めるための体制整備を迫られよう。

市町村の役割も大きい。警戒区域の防災計画を充実させ、都道府県とともに、住民の理解を得る努力が必要だ。

住民も「自分は大丈夫」といった意識を排したい。

広島市のケースでは、市が避難勧告を出した時点で、既に土石流が発生していた。気象庁と広島県が土砂災害警戒情報を発令したのは、勧告の3時間前だった。

改正案では、土砂災害警戒情報を発表した時点で、都道府県は関係市町村に通知し、住民に周知するよう義務付ける。市町村は「空振りを恐れない」という原則を踏まえ、間髪を入れずに避難勧告に踏み切るべきだ。

局地的豪雨の激化で、警戒区域以外でも災害の危険性が高まっている。広島県は、斜面の勾配や地質などを決められた計算式に当てはめ、機械的に区域指定する手法の見直しを政府に求めている。

住宅の密集の程度や過去の被害状況などについては、地元自治体が詳しく把握している。政府は、区域指定の際、必要に応じて、自治体に一定の裁量権を与えることも検討すべきではないか。
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[朝日新聞] 大学奨学金―給付型を導入しよう (2014年10月15日)

奨学金のあり方を大きく見直せないだろうか。

奨学金をもらっている大学生は2人に1人を超えた。大学の授業料が高くなり、親も年収が減って学費を負担しきれなくなっているためだ。

卒業後、未返還の人も増えている。奨学金の9割の額を占める日本学生支援機構の場合、返されていない額は昨年度、過去最高の957億円に上った。景気が低迷し、非正規労働が広がっていることが背景にある。

親が豊かでない生徒が進学の扉を閉ざされれば、貧しさは世代間で連鎖し、格差が広がる。社会全体の問題として、制度の見直しを急がねばならない。

問題なのは、機構の奨学金の主流が、利子をつけて返すタイプになっていることだ。

有利子奨学金が始まったのは30年前で、当初は無利子の補完とされた。それが今や無利子の倍以上の人数に膨らんだ。無利子の基準を満たしても借りられず、有利子に回る学生も多い。

借りた以上に返さなければならない制度が、奨学金の名に値するだろうか。

文部科学省も手を打とうとしている。来年度予算の概算要求では無利子枠を3万人増やし、有利子を1万8千人減らした。だが、それでも有利子が7割近くを占める。無利子への転換をもっと進めるべきだ。

さらに踏み込みたいのは、卒業後、返さなくてよい給付型の導入だ。

機構の奨学金はすべて貸与型、つまり借金になる。その前提は、大卒後すぐ正社員になり、賃金が年々増え、簡単には解雇されないという日本型システムだ。しかし、それはとうに崩れている。先進国で授業料がただでなく、公的な奨学金で給付型がないのは日本くらいだ。

給付型の新設は財政難の折、ハードルが高い。ならば、たとえば企業の支援を得て基金をつくってはどうか。国はグローバル人材を育てようと官民一体の留学支援制度を今年度から始めた。100近い企業や団体から寄付を募り、返済不要の奨学金などに充てている。

奨学金で多様な背景を持つ人々が学びやすくなれば、イノベーションが起きやすくなる。産業界にとっても有益だろう。

GDPに占める教育機関への公的支出の割合をみると、日本はかなり低い。先進国を中心に34カ国でつくる経済協力開発機構(OECD)のなかで、日本は5年連続で最下位だった。

若者が希望を持てない国に将来はない。未来への投資に力を入れるべきだ。
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[朝日新聞] 新聞と言論―社会を単色にはしない (2014年10月15日)

新聞に求められる言論機関としての役割は何だろう。新聞週間を機に考えてみたい。

朝日新聞の場合は、オピニオン面が主に言論のフォーラム機能を担っている。読者からの声、識者からの寄稿やインタビュー、そして社説が載る。

社説の内容は、20人あまりの論説委員によって積み重ねられてきた毎日の議論にもとづいている。その主張については最終的に論説主幹が責任を負う。

委員の間で意見が割れ、激論になることもある。ただ、異論も踏まえているからこそ、論説主幹個人のものではない社の主張として成り立っている。

読者や識者の考えは、必ずしも社説とは一致しない。池上彰さんのコラム掲載見合わせは悔やみ切れない過ちだが、オピニオン面や紙面全体を通じて、社説にとらわれない多様な視点を提供しようと努めている。

このところ、各新聞社の間で社説の主張が大きく二分されることが目立つ。

例えば、集団的自衛権の行使を認める7月の閣議決定。朝日新聞は「この暴挙を超えて」と題する社説で、解釈改憲に踏み切った安倍政権を批判した。

一方、読売新聞は「抑止力向上へ意義深い『容認』」との見出しで、自民・公明の与党合意に基づく決定を歓迎した。

こうした違いがあることは、日本の言論空間が健全であることの表れだ。

それでも、自戒を込めていえば、意見の対立が激しくなるほど「我々が正しいのだ」と筆に力が入る。記者が陥りがちな悪い癖かもしれない。行き過ぎればメディアが政治のプレーヤーになりかねない。そうなると、まるで政治闘争であるかのように筆はとがっていく。

安倍首相の憲法への姿勢に対し、私たちは「憲法によって権力を縛る立憲主義に反する」と批判してきた。

一方、立憲主義には「多様な価値観の共存を実現する」というもう一つの大きな意味があると憲法学は教える。

朝日新聞への批判から逃げようというのではない。ただ、慰安婦報道に携わった元記者の勤め先の大学が脅迫されるほどに過熱しては、多様な価値観が共存できるはずの社会の基盤が脅かされる。

新聞の役割は、意見の対立をあおることではない。考える材料をいかに社会に提供できるかにある。そのことを改めて確かめておきたい。

私たちの社会が、ひとつの色に染められてしまうことに抗するためにも。
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